これまで一般に女性差別であると誤解されることの多かった、「女人禁制(女人結界)」という歴史事象について、主として「女人禁制」条項をを含む寺院法制文書(本研究でいう「女人禁制」文書)の網羅的な収集と分析という新しい手法を導入することにより、その成立事情と歴史的意義の解明を進めた。その結果、これが仏教の戒律(不邪淫戒)に本来的に由来するものであることに疑いの余地がないこと、したがって、従来一部で指摘されていたような我が国固有の習俗ではなく、中国など東アジアの仏教圏に共通してみられた慣行であったこと、さらに尼寺における「男子禁制」の事例も僅かながら存在していたことから性的差別とは言えないことなどが確認できたが、本研究の最大の成果は、上記の「女人禁制」文書の内容分析によって、我が国における「女人禁制」の時代的変遷や、寺院毎の相違などを明確にすることができた点にある。すなわち、「女人禁制」には、(1)寺内の持律僧の強い指導力によって保たれているもの、(2)住僧らの連帯意識により自主的に守ろうとしたもの、(3)檀那や為政者など外部からの規制で維持できたものの、三つのタイプに分類できるが、南北朝期頃までは(1)(2)の例が多く、この時期にはいわば自主規制としての意味を持っており、したがって、「女人禁制」を遵守できるかどうかは個別寺院の住僧らの持戒意識の有無にかかっていたと言いうる。一方、室町期以降、とくに戦国期になると(3)のタイプが目立つようになるが、これは破戒行為の横行によって、領主権の介入と規制が強化されるという事態を招いたことを反映している。また、各時代にわたり、高齢で身寄りのない女性には寺内居住を認めるといった、例外規定を設けていた例も多く判明し、そのことが「女人禁制」の形骸化に拍車をかけた点も明らかとなった。
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