初期「新女性」を代表する羅〓錫と金一葉の著作及び関連資料を収集し、その自我の覚醒および家父長制への抵抗を含んだ恋愛観・結婚観を検討して、植民地朝鮮の現実との相克を明らかにする作業の端緒とした。 二人の思想や行動は個人的生の変化および朝鮮の現実の変化とともに変容している。そのため、先ず31運動前後の二人の思想と行動の流れを追うことにした。具体的には、羅〓錫が編集に深く関与した女子留学生の雑誌『女子界』(1917年創刊)と、金一葉が1920年に創刊した雑誌『新女子』を比較検討しその主張の変化を考察した。 『女子界』は3号まで内容・資金面ともに男性を中心だったが、4号ではじめて自立した。しかし31運動の勃発で刊行中止となり、名実備わった女性雑誌として再登場するのは1年後の1920年3月、『新女子』の創刊と時を同じくする。 『女子界』は、旧来の伝統や因習からの脱却、「新女性」に対する「奢移・驕慢・自由の乱用・貞操観念欠如」などの社会の批判を受け止め反省を促し、社会が期待する「新女性」たるための自覚を訴える。そして新女性の任務としての新女性像、すなわち新男性の理想的配偶者・平等な協同者として理想的家庭を作り、子女の教育に力を尽くすという「民族主義的賢母良妻」像である。それに対し、「新女子」は日本の青鞜運動に学びながら、新女性の社会的自覚を訴える点では、『女子界』と同じ論調であるが、一貫して強調されているのは自己の確立・自己の改造である。羅〓錫・金一葉のその後の思想転換は、「民族主義的賢母良妻」像をも否定し、近代的自我を追求していくことにある。その意味で『女子界』から『新女子』の論調の変化の意味は大きい。
|