朝鮮の「新女性」たちがいかに近代的思潮を受け入れ、いかに自らの解放の武器にしていったのかを検証するとともに、従来正当に評価されてこなかった彼女たちの様々な主張を当該時期の歴史的状況の中で読み解くため、韓末の女性雑誌および女性の手になる雑誌を検討した。朝鮮の女性雑誌の嚆矢である『家庭雑誌』、そして『女子指南』・『慈善婦人会雑誌』を概観し、文字通り女性の手になり、朝鮮女性の解放を主張した『女子界』と『女子時論』・『新女子』の発行趣旨や編集状況、さらに内容について共通性と差異の両側面から比較した。『女子界』は現存する2・3・4・6・続4号を分析し、通底する共通点として、旧来の因習に縛られた朝鮮女性に覚醒と教育の必要を訴え、同時に「新女性」自身に対し、激越な批判を行い、自省を迫っていることを挙げた。『女子時論』(1冊のみ)は植民地と言う固有の条件の中で、「新女性」の任務を母性に求め、文明化して賢母良妻となり、民族と国家への義務の遂行を求める「民族主義的賢母良妻」思想を強調したと特徴付けた。それに対し、4号まで刊行された『新女子』は日本の青鞜の影響を受けて、賢母良妻像の追求より、自己の確立、自己の改造を強調したと論じた。3雑誌を総合すれば、共通性は男女の平等と解放を訴え、女子教育を主張したこと、理想的「新女子」像を提示したことであり、差異点は、『女子界』や『女子時論』が「民族的賢母良妻思想」を掲げ、母・妻としての責任にこだわったのに対し、『新女子』は「自己」の追求を打ち出したことと言えよう。前者が「民族としての自己」の覚醒を唱え、家庭の近代化・民族と国家の自立を目標にしたのに対し、後者は「女性としての自己」に強く拘泥し、それゆえに植民地という現実の壁にぶつかって発展されずに終わったと推測できる。
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