近代における朝鮮女性の具体的な生の様相を明らかにする中で、彼女たちが「近代」とどのように向き合い、朝鮮社会と女性の変革のために何を受容しようとしたのかを検討することである。本研究は、1920・30年代を中心に、自由と平等に表象される西欧の「近代」を受容した新女性達が、どのように個人のよりよい生を追究したのか、どのように「女性としての自己」の確立を目指したのか、およびそれに対する社会的反応はどうであったのかという問題について検討した。 韓末以後、近代文明の流入と共に、政治・経済はもとより、家族制度から生活様式年至るまで旧制度の変革が唱えられた。その中でも男女平等・女性の解放は近代教育を受けた層を中心にして、徐々に普遍的価値になりつつあった。新教育を受けた女性たちはさらに向学心に燃えて日本や米国に留学し、西欧的「近代」をいち早く受容した。特に日本に留学した「新女性」たちは日本を通じて、近代的思惟と新しい生活スタイルを受容し、「近代」を体現する存在として浮上していった。新女性の「近代」体験は、旧来の社会構造・家父長的家族制度・生活様式から抜け出る方向を提示し、徐々に朝鮮社会に浸透していった。当然旧来の伝統的価値体系を守ろうとする人々との葛藤は熾烈であった。 なかでも「新女性」が「個の確立」を目指そうとする時、彼女たちに棺民地朝鮮の啓琴的指導者たることを要求する社会の言説が沸騰し、彼女たちが体現する思想から生活様式に至る「近代」は、社会的批判の対象となっていく。しかし一方で、「新女性」によって表現された恋愛や結婚・離婚観は新しい思想として浸透していき、彼女たちが体現したファッションや髪型などを含む生活様式の浸透は避けられなかったのである。
|