研究概要 |
Byronのオリエンタリズムをめぐる事情を種々の側面から探り、以下の新たな知見を得た。彼と同時代の牧師Samuel Green、Charles Forster、Humphrey Prideauxらはイスラム教に偏見を抱き、キリスト教を平和の礎と考えていた。フランス人旅行家Chateaubriandはトルコ人の野蛮さに偏見をもっていた。詩人John Dryden, Samuel Rogers、Walter Savage Landor、Robert Southeyらはコロニアリズムの文脈の中で、イスラムを貶め、キリスト教文化を擁護していた。こうした環境の中で、Byronの特異性もわかってきた。彼は西と東の文化に偏見のないコスモポリタンなのである。彼のSiege of Corinth、The Giaour、Beppo、Don Juanなどを検討し、彼がオリエントの世界に視座を移して詩作することができたことがわかった。また、異文化圏からイギリスを眺め、本国を批判する姿勢は、彼がヴィクトリア朝の小説家James Justinian Morierと共有している態度である。また、同じくヴィクトリア朝の小説家Bulwer-Lyttonによる、強いByronismの影響の下で書かれたLeilaでは、キリスト教徒とイスラム教徒はフェアな視点から描かれている。当時、実際にオリエントに赴いた旅行家Alphonse de LamartineやJulia Pardoeはトルコ人の美徳を称え、西と東の文化を偏見なく眺めることができた。つまり、Byronはヴィクトリア朝の実際にオリエントを見知った西洋人の感性を先取りしていたことが明らかとなった。今後は、Byronがオリエント詩において自分の内面意識を投入していったことを考察の焦点とする。
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