平成14年度までは、Edward W.SaidのOrientalismを挺子にし、Byronと同時代の牧師や旅行家の著作を研究して彼らのオリエント観を明確化した。すなわちSamuel Green、Charles Forster、Humphrey Prideauxらの宗教家はイスラム教に偏見を抱き、キリスト教を平和の礎と考えていた。また、フランス人旅行家Chateaubriandもトルコ人の野蛮さに偏見をもっていた。ところが、Alphonse de LamartineやJulia Pardoeといった旅行家は逆にトルコ人の美徳を称え、ほとんどオリエントに偏見を抱いていない。詩人にしても、Samuel Rogers、Walter Savage Landor、Robert Southeyらはイスラムを貶め、キリスト教文化を擁護していた。こういった環境の中で、Byronのオリエント観には特異なコスモポリタン性が貫いているという知見を得た。これには、彼が直接オリエントを旅した経験があることが影響している。敷衍すれば、一連のHajji Baba物語で知られる小説家James Justinian Morierは、イギリスを客観的に諷刺する視点をもっていた。Morierの作風には在ペルシャの外交官時代の経験が影響しているに違いない。ByronのSiege of Corinth、The Giaour、Beppo、Don Juanなどでは欲望、性愛、戦争などの相においてオリエントとオクシデントは混ぜ合わされ、人間は皆共通の我欲に囚われた存在であるという見解が示される。Byronは西洋優位の視点から脱却し、東洋も含めて人間全体を等しく眺める視点を得たのだ。今後は、さらにByronの東方物語詩群を精密に読み解き、彼において西洋の優位性がいかに疑問視されているかを分析する。
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