Byronの東方物語詩群を精密に読み解き、彼において西洋の優位性がいかに疑問視されているのかを分析した。東方物語詩の内容は反乱もしくは革命である。そして、その反乱や革命は必ず頓挫するよう彼の詩では仕組まれている。なぜそうなるのだろうか。Leaskによれば、Byronのオリエント詩にはロマン派詩人に特有な帝国の不安(Anxieties of Empire)がつきまとっているからである。帝国の不安とは己自身のオリエント化に対する不安である。つまりオリエントを責める中で、逆に己自身がヨーロッパ的文化の優美さを失い、トルコ人化してしまうという恐怖心である。この"Turn Turk"する不安は確かにByronの物語詩には認められる。しかし、Leaskが見落としている点は物語中の「女」の役割である。The GiaourのLeila、The Bride of AbydosのZuleika、The CorsairのGulnareらは物語の展開を操り、Byronのオリエントに対する態度保留の状況を実現している。たとえばLeilaは奴隷として西洋的自由を渇仰するが、あえなく殺害される。ZuleikaはSelimの酉洋人集団の反乱軍の鎮圧にわれ知らず手を貸してしまう。Gulnareのみは特異な位置にいる。Conradの捕縛後、彼女はSeydの軍に抵抗し、己の自由という西洋的価値を追求する存在になる。ところが、それ以降のGulnareは意気阻喪したロマン派的ヒーローConradの影のような存在に貶められる。オリエントにおける闘争では必ず自由への急進的傾向は挫かれ、プロット展開においては政治的保守性が露わになる。この保守性こそが、Byronがホイッグの政治家であるFox、Hobhouse、Erskineらと共有している貴族的リベラリズムであるところまで研究を進めた。
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