九州北部に於ける近世社寺建築大工の組織と作風としては次の結果を得た。 1、大工棟梁吉田利平光久は文化3年(1806)に福足神社本殿を、同12年(1815)に白鬚神社本殿を、文政8年(1825)に八幡神社本殿を造営した。いずれも福岡県宗像市にあって、吉田利平光久も宗像市平等寺に居住していた。作風は次のとおりである。(1)身舎四面に中備を入れ、中備蟇股に日輪を彫る。(2)結綿に鬼面を用いる。(3)向拝柱は面取り角柱で腰長押、浜床付きである。 2、『匠要集』は、四国民家博物館(四国村)所蔵のもので、安永5年(1776)讃岐大工藤原保道著である。『匠明』と比較しながら、資料の信憑性を追求した。 3、大工河村家は近世時下関に居住した大工で、その資料の一部を解読し、発表した。組織の解明は今後、検討したい。 4、府内藩大工利光家は、旧大分郡内の社寺造営を江戸時代から明治時代にかけて行ったことが、棟札等の調査によって判明したと同時に、利光家文書の信憑性も実証することが出来た。 5、成果報告書(286頁)を作成した。
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