本研究は、ヨーロッパの少数言語であるバスク語の書き手で、自作のスペイン語への翻訳者でもあるベルナルド・アチャーガの文学作品を対象に、彼の創作と翻訳との関わりを明らかにしようとした。1970~80年代の初期作品を扱った前年度に対し、平成26年度は1990年代から2000年代初頭の作品の分析を行なった。期間の前半は、前年度に引き続きバスク大学(スペイン)に滞在し、後半は日本に帰国して研究に従事した。 アチャーガがおもにバスク語で創作・発表した1970~80年代の作品に対し、彼がスペイン語への自己翻訳を開始した1989年以降の作品では、とくに1990年代、バスク語からスペイン語への自己翻訳のみならず、スペイン語で書かれたテクストの急激な増加、二言語での交差的な創作の試みといった特徴が見られる。そうしたテクストの二言語による比較・分析と現地で収集した資料から、アチャーガが1990年代を通じて二言語間での独自の執筆方法を確立したという視点が得られた。そこで、1990年代の作品を中心にアチャガの創作と翻訳のプロセスについてまとめた「ベルナルド・アチャーガのバイリンガリズム」(未発表論文)を準備すると同時に、そのプロセスの後に登場した小説『アコーディオン弾きの息子』の詳細な分析を行ない、その一部を日本イスパニヤ学会にて口頭発表した後、論文として同学会誌に投稿した(掲載未確定)。また、別の口頭発表では、マイノリティがメジャー言語を用いて書く「マイナー文学」(ドゥルーズ&ガタリ)に対し、バスク語のようなマイナー言語の文学について、バスク語の文学の1970年代以降の展開を辿りながらその特徴を論じた。 上に挙げた成果は、日本でまだ研究されていないバスク語の文学を対象に、少数言語の書き手でバイリンガルである作家が複数言語間のパワーバランスの中で創作を行なう方法について分析し考察したという点で、独自性と重要性を備えた研究である。
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