研究課題/領域番号 |
13J00239
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研究機関 | 宮城学院女子大学 |
研究代表者 |
遠藤 みどり 宮城学院女子大学, 学芸学部, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 日本古代史 / 天皇制 / 王権論 |
研究実績の概要 |
本年度は①譲位の定着過程、②光仁朝の皇統意識、③王権内における天皇生母の役割というテーマについての研究、および④正倉院文書の調査を行った。 ①では、嵯峨天皇の譲位以降、その地位の低下が指摘されている平安初期の太上天皇の性格変化は、譲位という皇位継承方式が定着したことにその要因があるとの見通しを証明するため、譲国儀の成立過程について分析を行った。中でも譲位における剣璽渡御がいつから行われるのかという問題に注目して検討した結果、9世紀の譲位において譲位前に前帝が内裏から遷御することから、嵯峨譲位までは譲位時の剣璽渡御は行われず、新帝が内裏へと遷御することで前帝から新帝へのレガリアの授受が行われたことが明らかとなった。また、仁明即位以後は内裏への新帝遷御が即位儀後へと変更されることから、この頃から譲位時の剣璽渡御が行われるようになったと推測した。このように、平安前期において譲位の儀式次第が徐々に整備され、『儀式』(貞観年間)に「譲国儀」として収載されることで、譲位が皇位継承儀礼の一部として正式に独立していくと考えることができる。 ②は、上記①の検討を進める中で、従来奈良時代から平安時代への転換点と捉えられてきた光仁朝が、平安よりも奈良時代との近親性が強いとの見通しを得たため、①の補足として光仁朝における皇統意識を検討したものである。 ③は皇后はその成立当初から他の三后とともに母后として位置づけられていたとした前年度の研究成果をもとに、奈良時代の皇后についての分析を行った。特に上記②と関連して、従来、光仁朝において変化するとされてきた皇后宮の場所について、平安初期の嵯峨朝まで変化はないとの見通しを明らかにした。④ほ③のための基礎的調査である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初計画では、上記④の正倉院文書の調査は本年度中に終える予定だったが、来年度も継続することになり、若干の遅れが生じてしまったため。但し、④の調査と並行して、奈良時代の皇后宮職の分析も随時進めていたため、上記③の研究自体は着実に進めており、研究計画全体としては若干の遅れで済んでいる。
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今後の研究の推進方策 |
本年度進捗が遅れてしまった正倉院文書の調査を優先的に進める。特に次年度は出産・育児のための中断期間も含むことから、調査補助のための学生アルバイトを雇用し、速やかに完了させる予定である。それと並行して、本年度行った考察をもとに、「譲国儀の成立」・「王権内における天皇生母の役割」についての研究をまとめる。
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