研究課題/領域番号 |
13J00416
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
古川 萌 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 西洋美術史 / イタリア / ルネサンス / ジョルジョ・ヴァザーリ / 芸術家列伝 |
研究実績の概要 |
本研究は、イタリアの画家・建築家G・ヴァザーリによって著された『芸術家列伝』(以下『列伝』と称する)において、芸術家像がどのように形成されているか究明することを目的とする。そのため報告者は今年度、『列伝』第二版に収録された芸術家の肖像画と、ヴァザーリが建設を担当した「ヴァザーリの回廊」との関連を検討する予定であった。しかし、第一年次に得られた研究結果から、死者の記念という視点からヴァザーリの活動を再検討するほうが、早急に解決すべき課題であるように思われた。 そこで報告者はまず、ヴァザーリがデザインを担当したミケランジェロの墓碑について、これが建てられるに至った経緯を調査した。その結果、ミケランジェロの墓碑は、現在もフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に設置されている芸術家墓碑群と同じ文脈に置かれるべきモニュメントであることが明らかとなった。したがって報告者は、芸術家の墓碑を建てて彼らを丁重に弔うという行為が、メディチ家の芸術パトロネージの一環として『列伝』内で強調されており、その頂点としてミケランジェロの墓碑が位置づけられると結論付けた。 次に、ヴァザーリとV・ボルギーニがともに創立したアカデミア・デル・ディセーニョに着目し、とりわけその本拠地であったサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂内の聖ルカ礼拝堂、通称「画家の礼拝堂」について検討した。これまでの研究では、「画家の礼拝堂」装飾プログラム考案においてヴァザーリの関与が指摘されることはなかったが、報告者はこれにヴァザーリが関与した可能性を指摘した。また、16世紀当時の彫刻の配置を詳細に検討し、現存する十体の彫刻すべての人物のまなざしが礼拝堂中央に注がれていることを発見した。これらの結果から、「画家の礼拝堂」の彫刻はそこでおこなわれる死者を弔う儀式を目撃する役割を担っていたとみて、調査を続行中である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
本研究課題の当初の目的は、ヴァザーリ著『芸術家列伝』においていかに芸術家像が形成されているか探ることであったが、報告者は本年度、昨年度の研究結果に基づいて課題を設定し、芸術家の死とその記念という観点から『列伝』を精査した。というのも、芸術家像の形成は、芸術家の死の記念という場においてもっとも積極的におこなわれると考えたためである。 とりわけ、ヴァザーリにとって重要な芸術家であるミケランジェロの死について、また芸術家の共同墓碑が設置された「画家の礼拝堂」について調査をおこなった。その結果、芸術家像の形成は、芸術家を庇護するパトロンのイメージ戦略に密接に結びついていることが明らかとなった。すなわちこの場合、メディチ家のイメージ戦略がそれにあたる。 こうした本年度の研究から導き出された結論は、当初設定した研究課題において、課題設定時には見えていなかった重要な一端を示すものである。したがって、研究は当初の計画以上に進展しているといえるだろう。 なお、これらの研究結果はそれぞれ適当と思われる学会にて発表し、研究結果をまとめた論文も現在審査中である。
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今後の研究の推進方策 |
本年度の研究を踏まえ報告者は、当初の研究目的である芸術家像形成という営為において、芸術家とその記録者のみならず、芸術庇護者の存在をも考慮に入れて考察を進める必要があると考えた。したがって、芸術庇護者たるメディチ家の役割を十分に考慮に入れつつ、ヴァザーリの活動における記憶、場所、歴史といった観点から『芸術家列伝』を再検討する。 また、芸術家像の受容についての調査を進める。これまでの研究より、ヴァザーリによってミケランジェロに関するイメージ戦略がおこなわれていたことが明らかとなったが、そうしたイメージが後世いかに受け取られたかについて検討したい。具体的には、17世紀にミケランジェロ・ブオナローティ・イル・ジョーヴァネによって整えられたカーザ・ミケランジェロについて、調査する。とりわけカーザ・ミケランジェロのガレリアには注意を払いたい。というのも、そこにはミケランジェロの葬儀のために制作された絵画の複製が展示されているからである。 さらに、アカデミア・デル・ディセーニョにおける芸術家像の役割も検討したい。ミケランジェロの死の記念や、「画家の礼拝堂」装飾など、昨年度はアカデミア創立期におこなわれた活動について考察したが、これらがアカデミアにおいてどのように作用したかについては十分に検討できなかった。こうした不足した部分を補うとともに、すぐ後にローマで創立したアカデミア・ディ・サン・ルカなどと比較し、より広い視点とともに結論を導き出したい。
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