研究課題/領域番号 |
13J00524
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
問芝 志保 筑波大学, 大学院人文社会科学研究科, 特別研究員(DC1)
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キーワード | 先祖祭祀 / 家族国家観 / 国民道徳論 / 宗教概念 |
研究概要 |
本研究は、先祖祭祀などと呼称される、死者に対する生者の態度や実践が社会的要因によってどのように変容したかを宗教社会学の立場から明らかにすることを目指すものである。特に、西洋近代との対峙のなかで「自国の文化」としての祖先祭祀がどのように考えられたのかという、概念形成のレベルでの近代化を検討するため、本研究は明治期以降の日本において行政(国および地方)がどのように先祖祭祀と関わってきたのかに焦点を当てて検討していく。 本年はまず、明治大正期において、明治期知識人がどのように祖先祭祀を言説・概念化したかについて検討を行った。明治政府が、家族国家観的祖先祭祀論(日本一国を一大家族とみなし宗家である皇室を崇敬するという家族国家観の精神基盤として祖先祭祀を論ずるもの)を展開したということはよく知られている。その系譜を整理すると、早くは明治20年代よりその萌芽がみられるものの、理論的整理をみたのは内村不敬事件(24年)および内務省社寺局分離(33年)を経て以降のことであり、国民道徳論のもとで本格的な教導が開始されるのは43年以降であることが明らかになった。そこで、祖先祭祀観形成の主導的役割を担った穂積陳重の言説を検討すると、彼は以上のような流れのなかで、祖先祭祀を「文明」に資するものとして語り直していることが明らかとなった。これは、西洋的眼差しに対峙した非西洋側による自己表出の一つとして捉えうる。 もともと地域・階層差の著しかった祖先祭祀を標準化して論じた陳重らの論は、日本的社会構造と精神的基盤を論じたある種の日本文化論として提示されたものであった。このように、規範論という体裁をとらずに機能論や構造論、文化論として祖先祭祀を論じた言説は大正期以降に量産されていき、戦後における民俗学的・文化論的な祖先祭祀言説の下地となった。陳重のみならず、「祖先」観念や祭祀実践を形成してきたさまざまな言説の影響関係を引き続き解明していく必要がある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度に実施予定だった研究について、資料収集・分析は当初の予定どおり進行した。その結果は11月の学会で口頭発表し、2014年6月刊行予定の『宗教研究』に査読論文として掲載される。
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今後の研究の推進方策 |
次の調査対象として、当初の予定どおり北海道札幌市の事例研究を行う。札幌市における資料収集及びフィールドワークを夏季に集中的に実施し、9月開催の日本宗教学会において口頭発表を行う予定である。
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