1.明治前期の在外窮民問題…昨年度研究課題である明治初年の日本・ハワイ条約交渉の検討を通じて、当該期日本が在外窮民(渡航先にて経済的事情等により困窮した日本人)の対応に迫られていたことが判明した。そこで、明治政府による在外窮民救助について検討し、以下のことを解明した。まず、明治政府は1874年、領事官が帰国費用を窮民に貸与する形で救助する制度を確立した。しかし、その後貸与金を返済できない窮民が続出し、政府の負担が増大した。そのため、明治政府は1883年以降、日本人が多く居住するアメリカ、清国等において窮民に対する救助金貸与の縮小を試みたが奏功しなかった。そこで、1888年にドイツの制度をモデルとした新たな救助方法が確立された。それは、まず領事官が現地の官憲・慈善団体に窮民救助を依頼し、拒否された場合は領事官が救助金を貸与するというものであった。この救助方法は、邦人の多寡を問わずあらゆる都市の日本領事官に訓令され、明治政府の中長期的な在外窮民救助方針となった。以上の成果は、明治期日本が領事官制度を確立していく過程を解明するうえで重要な意義を持つ。 2.明治期の商人領事問題…安政五ヶ国条約以降に対日条約を結んだスイス、デンマークなどの小国は、在日商人を領事官に任命した。これら商人領事に対する明治政府の対応について検討し、以下のことを明らかにした。すなわち、商人領事について明治政府が特に問題視した点は、領事裁判を適切に運用できないこと、一般の商人には付与されていなかった内地旅行権を濫用して、開港場・居留地の外で商業活動を行うことであった。そして、これらの弊害は条約改正問題と結び付けられ、明治政府は1882年の条約改正予備会議などにおいて、商人領事を任用する国々を非難した。以上の成果は、明治期日本が諸外国の領事官制度を受容する過程を解明するうえで重要な意義を持つ。
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