損益相殺は、普通法下のドイツにおいて成立した概念であり、近代的な自然法学の影響を受けて成立している。すなわち、当時ドイツにおいて、通説化した(そして現在も通説である。)、抽象的な差額説は、その論理的帰結として、損益相殺を要求する。差額説は、それ以前の具体的な損害概念を放棄し、抽象的に損害を把握することにより、賠償対象となり得る損害の拡大に寄与してきた。しかし、同時にその論理的帰結として、考慮されうる利益をも拡大することに至った。これは、特に損益相殺の分野において看過できない帰結を生じさせ、その結果、損益相殺の分野に関しては、通説である差額説を否定する見解が見られるところである。また、今日のドイツ法の通説も、具体的損害理解を採用していると言われている。しかし、これらの考え方が、差額説と論理的に矛盾する危険性を孕んでいることは疑問の余地がない。 これに対して、日本法においても、損害論についての通説は「差額説」と言われるが、これは、ドイツの抽象的な差額説とは大きく異なっている。歴史的に見ると、日本は、学説継受期に、ドイツから損害概念を導入したが、この際、既に通説となっていた差額説と具体的損害概念たる損失説とを同時に導入したという経緯がある。この当時の理解が、今日の損害概念の理解の根底をなしており、日本法の差額説は、ドグマ的要素が希薄であり、単に損害を金額で把握するものに過ぎない。それゆえ、具体的損害理解とも矛盾なく合致するところであり、この理解を前提に損益相殺を理解することで多くの問題は解決することができる。
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