研究課題/領域番号 |
13J03083
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
服部 敬弘 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | フランス現象学 / ミシェル・アンリ / 主観性 / 身体 |
研究実績の概要 |
昨年度に引き続き、ミシェル・アンリにおける有限性の克服及び、超越論的主観性をめぐるカント主義との対決に光を当てた。今年度は特に、アンリによる主観性からの有限性の徹底した排除に対して、一貫して疑問を呈し続けてきたリクールの議論との比較研究を行った。まずアンリが、『顕現の本質』において、主観性を、自己触発、すなわち、媒介なき自己と自己との直接的合致として定義するのに対して、リクールは『意志の哲学』において、主観性を、身体と魂、感性的なものと知性的なもの、有限と無限等々、二つの極に引き裂かれた媒介、すなわち、自己と自己との不一致として定義する。本研究が注目するのは、アンリが還元する自己と自己との不一致が、リクールにおいては還元不可能とみなされている点、また両者の直接的な議論もたえずこの点を巡っている点である。リクールが自己と自己との隔たりを主観性の本質契機とみなすのは、この隔たりが、自己に由来する産物ではなく、打ち消しがたい事実性として自己に刻印されているからである。本研究は、アンリとリクールの差異を見極めるべく、この事実性の哲学的文脈のひとつを、リクールのフィヒテ解釈のなかに探った。結果、隔たりの事実性に、主観性の実践的‐倫理的意味の源泉を見ることこそ、自己と自己との不一致の還元不可能性の意味であること、そしてこの点に、絶対的生との媒介なき情感的合一に倫理的意味を見るアンリとの決定的違いがあることを結論した。以上の研究によって、アンリが、主観性における媒介の不可避性という道を自ら遮断したことによって、カントからフィヒテに至る主観性理論の発展の豊かさを手放した点が見えてくるはずである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ミシェル・アンリにおけるドイツ観念論哲学との対決に光をあて、アンリ哲学とドイツ観念論哲学との錯綜した関係を解明する、という課題は、今回のリクールとの比較や、さらにはフィヒテ宗教論との比較研究を通じて、おおむね十分に解明されたと考えられる。また後期著作との関連についても、アンリのキリスト教解釈に連なる議論を整理できたことは、次年度の研究への足掛かりをえたと考えられる。
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今後の研究の推進方策 |
後期アンリのキリスト教解釈を主題化し、特にフィヒテやヘーゲルの宗教論との関連を念頭におきつつ、現代フランス現象学者、リクール、レヴィナスと直接的・間接に行われた議論を分析対象とする。これによって、後期アンリにおけるロゴス解釈を中心とする神学的転回の真の意味が明らかになるはずである。
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