本年度は二つの領域に区分して研究を遂行した。1.戦間期ルーマニア思想史の研究、ならびに2.フランスのジャック・ドゥセ図書館に所蔵されているシオランの草稿の研究である。 1.については、昨年度までの研究成果に基づきつつ、シオランの同世代の知識人ブクル・ツィンクとミルチャ・エリアーデに焦点を当てた。ツィンクは西欧主義者、エリアーデは伝統主義者と、両者は正反対の思想的・政治的潮流に属するが、彼らはほとんど同じ語彙と概念を利用して自らの論を組み立てている。そのなかでももっとも重要なものが「精神」であり、両者ともこれを「政治」と対立するものとみなしている。つまり、どちらも「精神」を肯定し「政治」を否定しながら、一方は西欧世界と自由主義を、他方は伝統世界と反自由主義を称揚することができたことになる。このことが示しているのは、戦間期ルーマニアの若き知識人たちにおいて、政治というものがいかに忌避される存在であったかということである。このことは、ルーマニア・ファシズムの勃興において現行の「政治屋」的な民主主義体制への不満が少なからぬ役割を担ったという事実との深い関連を思わせるものであるが、他方で1933年以降のシオランは明確に政治的なものを肯定しながら活動したということを考えると、一概に断言できない問題であり、さらなる検討を要する。 2.については、当年度10月-11月にフランスに滞在、パリはジャック・ドゥセ文学図書館所蔵のシオランの草稿を調査した。その結果、遺稿は膨大な数にのぼり、全体を通して研究するためには、より長期間当地に滞在する必要があることが判明した。この草稿の研究について、現時点で言えることは、これまで以上にシオランのフランス語時代とルーマニア語時代の連続性を想定しなければならないということであり、彼はこの断絶が不確かな曖昧さを、亡命状態において最大限に利用したということである。
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