研究課題/領域番号 |
13J04832
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
長岡 徹郎 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 西谷啓治 / 西田幾多郎 / 京都学派 / 悪 / 宗教哲学 / シェリング / ニヒリズム / 神秘思想 |
研究実績の概要 |
2014年度においては前年度の研究を踏まえたうえで、前期から『ニヒリズム』(1949)以降の変遷を論じようとした。その上で西谷の思索がなぜ宗教学や哲学でもなく、宗教哲学でなければならないのか、ということに着目した。つまり、ニヒリズムという現代の精神的病を乗り越えようと、現代における「あるべき」宗教を模索した西谷の姿勢が、宗教哲学でなければならかった根拠を問うたのである。 そこで前期の思索において悪の問題が焦点となっていることに注目した。悪の問題は、西谷がその思索の出発点から取り組んでいた問題である。悪の問題は、「悪の問題に就いて」(1928)や「序論」、「悪の問題」(1952)と度々主題として扱われている。ここで西谷は、理性では届き得ない悪の根を乗り越える立場として宗教哲学をみている。哲学における理性の限界においてなお残る問題を遂行するには、宗教と哲学とを跨いだ立場が必要であることを西谷は説いたのである。エックハルトの脱自やシェリングの自由論、アリストテレスの構想力などへの西谷の関心は、悪の問題を中心に展開していたと読むことができよう。悪の問題はニーチェを通すことによってニヒリズムとして戦後に形を変え、『宗教とは何か』において空の立場として結実するという思想的変遷がある。 本研究の意義は、前期からニヒリズム以降への思想的変遷を明らかにしたことである。従来の多くの研究において、西谷はニヒリズムと対峙した哲学者であると前期から後期まで一括りに説明されてきた。しかし前期を鑑みれば、西谷の思索はニーチェを経る前と後とで変化があった。前期において悪を乗り越える立場として示される脱自構造では、虚無の深淵はまだ開けていない。西谷が悪の問題を様々な角度から幾度となく問い直すのは、空の立場へと至るまで試行錯誤した西谷の思索の軌跡といえるだろう。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
前年度の研究においては、後期にまで通ずる西谷宗教哲学の基本構造を自己論から考察した。この研究を踏まえた上で、本年度においては西谷がニヒリズムに至るまでの問題関心を検証した。前期における西谷の思索において、まだニヒリズムはまだ大きな関心事ではない。しかし、ニヒリズムの萌芽は悪の問題として前期から既にみられるのである。 前期における西谷は、様々な角度から悪の問題を論じる。これは、ニーチェをへることによってニヒリズムとして問題が焦点化するまでの思索の軌跡として捉えることができるだろう。前期において虚無が主題とされることはあるものの、悪の問題との関係から論じられることはなかった。留学先でのハイデッガーのニーチェ講義からの影響も考えられるが、悪の問題への言及は次第に減り、ニヒリズムの超克へと関心が移っていく。 西谷が哲学でも宗教でもなく、宗教哲学という思索の形をとった理由も悪の問題にある。西谷は宗教と哲学の限界について問い直し、その限界において悪の問題の根をみたのである。それは後にニヒリズムへと展開し、『宗教とは何か』における空の立場において西谷の独自性は開花する。以上のように、西谷の前期からニヒリズムまでの変遷を見通すことができたと考えるゆえに、研究は現段階において順調に進展していると判断した。
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今後の研究の推進方策 |
現在までの研究において、西谷の悪の問題がニヒリズムへとつながるという道筋を示すことができた。しかし、まだ細部において悪の問題からニヒリズムという展開を検証できたとはいえない。前期において西谷は西田やシェリングなどを思想背景として、悪の問題を乗り越える立場として絶対無や自然性の立場を示すが、それらと中期以降における空の立場との関係性の解明についてはまだ十分とはいえないのである。よって、今後の研究方針としては、ニヒリズムをへることにより、前期の枠組みが中期以降どのような変容を被ったかについて検証したいと考えている。主に取り組む著作は、西谷の代表的著作として知られる『ニヒリズム』と『宗教とは何か』である。今後はこの二冊の著作を中心に、前期における問題関心がどのように展開したかについて検証していくこととする。 また西谷に大きな影響を与えている西田幾多郎との関係も研究の重要な課題である。西谷が絶対無ではなく、空の立場へと最終的に至ったことによって自らの独自性を開花させたことは、京都学派の思想的変遷において重要といえる。西田が『宗教とは何か』などの主要著作において西田を引き合いにだすことはあまりないが、従来思われていたよりも大きな西田の影響が西谷にあったのではないか。西谷の独自性を浮き彫りにする上でも、西田との比較研究に取り組む必要があると考えている。
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