平成27年度は、とくに詩人清田政信についての調査・分析を進め、日本近代文学会において報告した。その成果をもとに調査・分析を進展させ論文を執筆し、『日本近代文学』に投稿した。報告では、1960年代~70年代前半の清田政信の評論と詩を取り上げ、清田が「個人性」というタームを用いて理論化しようとした主体のあり方について、詩作品の「非人称性」に着目し考察した。この発表を踏まえ執筆した論文では、清田が理論化した「個人性」という概念を、非人称化という観点からではなく、清田がたびたび使用していた「非在」という語との関連から捉え直した。清田の詩的言語は、「存在」とは異なる「非在」というイメージの表出こそを目指すものであった。それはシュルレアリスムの批判的継承を経て、イメージの飛散しつくしたところに「非在のリアリティー」を開示させる詩的実践であった。またこの「非在」を生きることで詩人は失語に陥るが、三年の詩の絶筆を経て日本語と沖縄方言の相互規定的な結びつきを行為遂行的な「言葉になる」という運動によって転覆させていく詩作を生み出していく過程にも着目した。さらにこの詩の絶筆期のエッセイにおいて初めて用いられていた「個人性」という非主体的な主体のあり方を、本論文では戦死者たちとの不可能な連帯の場であったと考察した。沖縄でも日本でもなく「不可視のコンミューン」の実現を目指した清田政信の詩的言語の意義を分析したこの成果は、「復帰」を前後して現れた文学活動における「土着」や「沖縄的なもの」への傾倒、すなわち小説における沖縄方言の復活や、あるいは思想の領域において沖縄の「異族」=異質性という「差意識」を梃に国家としての日本に軛を撃つとした反復帰・反国家論の展開をも批判的に照射し直すものである点で、重要であると言える。
|