平成25年度は、研究計画にそって、先行研究では分析されてこなかったアイゼンハワー政権の沖縄基地戦略を解明するため、米国や沖縄の公文書館にて史料調査を行った。具体的には、米国国立公文書館にて国務省関係史料、統合参謀本部関係史料、陸軍参謀本部関係史料、海軍作戦本部関係史料を、アイゼンハワー大統領図書館にてダレス文書、国防総省関係史料を調査・閲覧・複写した。また、沖縄県公文書館が所蔵するマッカーサー記念館の占領関係史料、プリンストン大学のダレス文書なども調査・閲覧・複写した。さらに、アイゼンハワー政権の冷戦戦略に対し、日本政府がどのような認識を持ち、どのような政策・対応をとったのかについて知るため、外交史料館にて史料調査・閲覧・複写を行った。 一連の史料調査から分かったことは、50年代半ばの海兵隊の日本本土から沖縄への移転が、同時期のアジア冷戦戦略の変化に対する米国の対応であり、陸軍主体から空海軍主体へと極東米軍を再編する中で実現した最も象徴的な出来事であるという事実であった。より詳しくいうと、1953年の朝鮮戦争停戦後、1955年のジュネーヴ協定、同年の第一次台湾海峡危機によって、朝鮮半島からインドシナ・台湾へとアジア冷戦の主戦場が移っていったことに対応し、アイゼンハワー政権は、従来は朝鮮半島への出撃基地として重視していた在日米軍基地から、インドシナ・台湾有事の際の出撃基地として新たに在沖米軍基地を極東の重点的拠点とする基地・兵力の整理統合を行ったのであった。 この学術的発見は論文にまとめ、平成26年3月に『国際政治』に投稿した。
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