今年度は研究成果を学会や研究会等で報告することに注力した。本研究が対象とする範囲は中東歴史研究や英帝国史、第一次大戦史、委任統治研究、石油史に重なるところにあるため、多くの研究者からのアドバイスを求めた次第である。その結果、英国がその帝国政策上、石油とパレスチナ北部の港町ハイファの重要性を中軸として、パレスチナとメソポタミアにわたる地域をオスマン帝国から分割して確保し、委任統治下においたとする本研究の視角は、上述の分野の研究史に貢献しうるものであるということが明らかになった。 本研究は、第一次大戦期以前から中東の石油問題にとりくんできた英国の諸省庁、特に海軍省と商務院、インド省の政策立案に注目することで、1915年のド・ブンセン委員会において計画された中東分割構想において、委任統治期に実行された中東分割とメソポタミアからハイファにつながる石油パイプライン建設の原点を観察できること、そしてその構想が第一次大戦以前からの前述三省庁の対中東政策と連続するものであることを示した。このことから示される本研究の意義は、従来現地パレスチナ人とユダヤ人ナショナリズムを標榜するシオニスト、そして英国政府との関係性のなかで研究されてきた委任統治領パレスチナ成立に関する歴史研究と、第一次大戦を経て英国が帝国と戦後政策の再編という課題のなかで注力した中東における石油確保政策を包括的にとらえる視座を構築しようとするところにある。 ハイファはすでに1900年代初頭にはスエズ運河防衛の重要拠点として英国に認識されていたがことが先行研究では明らかにされているが、第一次大戦の最中には、それに加えて中東石油確保政策の要としても注目されていたことを本研究では示すことができた。第一次大戦以後英国が主導した中東分割政策におけるハイファの役割を明らかにしたことが本研究の重要性であろう。
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