研究課題/領域番号 |
13J08160
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研究機関 | 立正大学 |
研究代表者 |
片山 由美 立正大学, 仏教学部, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2013-04-26 – 2016-03-31
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キーワード | 『維摩経』 / 「菩薩品」 / 『法華経』 / 「観世音菩薩普門品」 / 法施物語 / 「妙荘厳王本事品」 / 『阿闍世王経』 / 神変 |
研究実績の概要 |
本年度は申請にあたって目標に掲げた課題に本年度取り組むにあたり、前年度のコータン語『法華経綱要』に関する研究成果を国内外で発表をし、専門家と意見交換した上で、さらに論文の修正、加筆をして公表した。また、同時に、近年梵文写本が発見された『維摩経』を取り上げ『法華経』と比較した。初期大乗経典である『般若経』と『法華経』の関係に注目した研究はあるが、『維摩経』と同経との研究はあまりなされていない。申請者は、『法華経』「観世音菩薩普門品」(「普門品」)と『維摩経』「菩薩品」に見られる法施物語の比較検討を行い次の2点を指摘した。(1)『維摩経』では、果報を期待せず大いなる憐れみの心に基づいた喜捨行為が「法施」である。『法華経』では、観音菩薩による衆生の憐憫故に施物を受け取る行為が「法施」である。『法華経』「普門品」は観音菩薩に備わった徳や観音菩薩を供養することによって得られる衆生の果報について説かれていることから、このような文脈の中で「法施」の意味は理解される。(2)『法華経』「妙荘厳王本事品」における瓔珞から楼閣に変化する神変の表現は『維摩経』のみならず『阿闍世王経』や『二万五千頌般若経』や『八千頌般若経』における神変の表現と共通するところがあるため、定型表現として使用されていると考えられる。その場合,『維摩経』を介して「妙荘厳王本事品」の神変を理解する必要はない。以上から『法華経』と『維摩経』の法施物語について、直接的な影響の可能性よりも共通のソースが関与している可能性が高いことを指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
『維摩経』と『法華経』における共通した法施物語に着目した研究は多くない。また、『維摩経』に関しては、ポタラ宮で発見された梵文テクスト(大正大学『梵文維摩経: ポタラ宮所蔵写本に基づく校訂』)や撮影版テクスト、支謙訳 (A.D.223-253)(『維摩詰經』)、鳩摩羅什訳(A.D.406)(『維摩詰所説經』)、玄奘訳 (A.D.650) (『説無垢稱經』)を参照することができる。『正法華経』「薬王如来品」冒頭部が『維摩経』「法供養品」の同本異訳であることを考察した。また、『維摩経』「菩薩品」と『法華経』「観世音菩薩普門品」(「普門品」)に見られる法施に関する共通する物語を確認することができた。この共通する物語に着目して、両者における物語の受容の仕方の違いに注目した。 今後は、『法華経』「安楽行品」に着目して法師の概念について詳細に検討していく。「安楽行品」には梵文諸写本、種々の蔵訳、竺法護訳と鳩摩羅什訳の漢訳を対照させたテクストが公表されているのでそれを使用することができる。 現在までの研究状況は、『法華経』研究で、見過ごされている部分に焦点をあてて行っており、「観世音菩薩普門品」の考察を終え、菩薩の慈悲の在り方について考察した。今後は「安楽行品」それと関連する「法師品」「分別功徳品」等を主に取り上げる。このような流れで着実に研究を進めており、おおむね順調に進展していると言える。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究課題は、『法華経』「安楽行品」に注目し、法師の概念を明確にすることである。ことに、以下の点に注目して研究を進め、最終的にはこれらを論文にまとめ、公表する。 (1)「安楽行品」冒頭部の「四法」について明確な回答がテクストで与えられていない。これについて諸説あり、第一段に四法が説かれていると見る見方がある。ただし、第一段の位置づけについて、その思想が異質であるから後代の付加部分と見なす見方がある。この見解について、第二段以降の思想内容と第一段との関係、「法師品」や「分別功徳品」等の諸品との対応を考察し、また写本によって四法についての理解の違いがあることを明確にした上で、再検討する。 (2)「安楽行品」の二種類あると想定される「行処」(acara)と「親近処」(gocara)の概念を明確にし、その訳語を検討する。 (3)「安楽行品」の第二の「行処」にあたる部分である、[ya khalv esu dharmesv] avicarana avikalpanaの梵文に従った解釈を、偈頌との対応を考察しながら明示する。 (4)鳩摩羅什訳では、当該箇所を「亦不行不分別」と訳す。これについては、中国の注釈家の解釈では2通りに分かれる。「不分別を行ぜず」と「行ぜず分別せず」という解釈である。前者は慧思『法華経安楽行義』や天台大師の『妙法蓮華経文句』、後者は吉蔵の『法華義疏』、法雲の『法華経義記』、基の『妙法蓮華経玄賛』にみられる。注釈家たちがどのように当該箇所を理解したかを明らかにし参考にする。以上の点を考察することにより、当該箇所をどのように解釈できるかが明らかになる。また、『法華経』全体における「安楽行品」の位置づけも明確にすることにより、「法師」像を明らかにする。
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