本研究は日中双方の異なる支配秩序に従属しつつ、「小国」として独自の外交・交易を展開した近世琉球の多様な活動を国内官人制度の運営という側面からその実態を明らかにしようとしたものである。 近世琉球の運営を担ったのは、首里・那覇・泊・久米村の区分けを伴う士(サムレ―)層であった。これまで日中双方への整合的な従属関係の成立と「小国」としての独自の外交・交易を展開した近世琉球の国際的位置づけや振る舞いについて多くの研究蓄積が図られてきたが、それらを支えた国内官人制度の組織的特徴や運営論理については十分に議論されてこなかった。そのため本研究では、近世琉球の振る舞いが対外的な関係のみならず国内体制からも大きく規定されていたと仮定し、①王府官人制度の組織運営はどのように行われ、それを担う官人はどのように養成されていたのか。②それら多様な活動は知行分配(地頭所領有)とどのように結びついて運営が担保されていたのかについて検討を行った。 近世琉球の一角を支えた久米村官人制度を例にとると、日中双方への旅役を頂点としつつも、国内における官人制度が旅役への昇進に密接に連動する構造をもっていた。また、功績の積み上げが昇進に深く結びついており、各士に王府への貢献を競わせるとともに、官吏の養成も果たされるような制度設計がなされていた。さらにすべての頂点に位置づけられた旅役は、報酬制度の根幹をなした知行分配(地頭所領有)と結びつけられており、官人制度と国内行政・日中への外交活動が連動しつつ知行制度がそれら諸活動を直接的な評価基準として支えるような仕組みが成立していた。近世琉球の官人制度の運営は、国内役職=旅役=知行分配の結びつきによって活動が担保され、また各士を奉公へと向かわせる原動力となっていた実態が明らかになった。
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