インド経済のみならずグローバル経済でも躍進を続ける商業集団マールワーリーは、コミュニティの「ふるさと」であるラージャスターン州各地にヒンドゥー寺院を建立してきた。彼らの寺院経営において、私は彼らが「王」ではなく「寺院経営者」として自認している点に注目した。寺院経営の担い手が王から商人へと変質したことは、イギリスによるインド植民地経営という支配構造の転換と軌を一にしている。端的に言えば植民地政府がイギリス式信託制度を導入したことで、寺院経営におけるかつての担い手が没落し、他方でマールワーリーがそれに適応し寺院経営に乗り出していったのである。寺院を経営するにあたり公益信託の組織化を義務づけた植民地政府の目論みとは、財政的・政治的に寺院を管理することにあった。 公益信託制度は独立後も継承されたのだが、それを統括・管理する行政部門と関連法が制定されたことによって、国家による寺院の管理はむしろ強化されたと言える。しかし公共空間における活動が管理下におかれながらも、寺院経営者のマールワーリーは「公益に資する限り」宗教・世俗両分野に渡って積極的に活動することで、自らの地位・名誉を維持してきたのである。このように英領インド期に導入された公益信託制度に着目して、マールワーリーによる寺院経営、ひいては近現代インド社会における寺院経営の特質を読み解くことができた。それは、すなわち国家によって管理された状況下においてもなお「公益性」を基礎として生み出される名誉のポリティクスと解釈できる。
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