研究概要 |
本年度は、戦前日本における綿織物業の発展を産地綿織物業とならんで担った紡績兼営織布業についてとくに注目して研究を進めた。そこで明らかになったことは次の通りである。 兼営織布は, 主に輸出用綿布を生産する主体として, 産地綿織物業とならんで日本の綿織物業の中で無視できない地位を占め, そのことは, 多くの紡績企業の兼営織布への参入に支えられていた。具体的には以下のとおりである。明治末より昭和初期までの長期間にわたり、兼営織布は、生産額の面でみれば綿織物業全体の3割前後を占めつづけ、その比率は低減することがなかった。また、多くの紡績企業において、織布工程の設備投資を積極的にすすめる動きがあった。 兼営織布は, 単なる過剰綿糸の消費手段ではなく, それ自体が紡績会社に利益をもたらす事業部門という積極的役割を期待されていた。兼営織布は, 大阪や愛知など綿布の集散地に多く立地し, 生産規模の大きさを十分にいかせるような大量需要が見込める製品を中心に生産していた。兼営織布の労働生産性は綿織物業全体のそれよりも高く, 数量ベースで見ると1920年代後半に顕著な上昇をみせた。兼営織布の生産性の上昇は, おもに資本労働比率の上昇によって支えられていた。そして, 労働資本比率の上昇をもたらした織布部門での設備投資は, 兼営織布の高い収益性によって支えられていた。兼営織布部門が大きい紡績会社ほど, 高い収益性を実現することができた。 これらの研究成果を論文にまとめ、「戦前日本における兼営織布の生産性と経営上の効果」として学術雑誌『社会経済史学』(社会経済史学会)に投稿し、「再投稿を強く勧める」との判定を得、現在、改訂作業中である。
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