本年度は、前年度に引き続き、詩人プレシチェーエフの研究に取り組んだ。拙稿「プレシチェーエフの青春――ペトラシェフスキー・サークルの『預言者』」(『ロシア語ロシア文学研究』第45号、2013年)で、私は「預言者を演じた詩人」というプレシチェーエフ像を提示した。ここで描き出したのは、1840年代という時代を背景に、プレシチェーエフが、自ら描いた「預言者」に自らを同化させ、サークルという場においてその役割を演じていった過程である。ただ、芸術と生活の密着はすぐれてロマン主義的な現象であり、その双方を動員しながら、ある統一的な「人格」を打ち出していく試みは、レールモントフを一つの頂点としつつ、デカブリストの詩人たちにすでに萌していた。こうした「人格の探求」の流れのなかにプレシチェーエフを位置づけ、改めてその自作自演のプロセスをたどり直してみたいというのが、新たなテーマとなった。 加えて、1840年代はロマン主義からリアリズムへの過渡期に位置している。ロマン主義の演劇的文化がリアリティを失いつつある中で、「預言者」というペルソナを演じるために、プレシチェーエフはいかなる戦略をとったのか。それを明らかにすることが研究の課題となった。 研究の成果は、2014年度のロシア文学会全国大会にて発表した。さらに、「小さな預言者――プレシチェーエフと人格の探求」と題する論文にまとめた。今後いずれかの学術雑誌に投稿するつもりである。 ただ、芸術と実生活を限りなく一致させるという文学的試みが確かに存在する一方で、両者の一致があり得ないという自覚から出発する文学的表現も存在する。統一や調和には到達できないという反省的な自己意識も、ロマン主義文学の主要な原動力となっていた。こうした側面はプレシチェーエフ研究では論究できない。この問題に取り組むために、現在はアポロン・グリゴーリエフの研究に取り組んでいる。
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