研究課題/領域番号 |
13J10137
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
関 岳彦 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 特別研究員(DC2)
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キーワード | ロシア / 亡命 |
研究概要 |
本年度はブロツキー亡命(1972)後の創作において重要な「ヴェネツィア」に注目し、この街が亡命後の詩人にとってどのような意味を持っていたのかという問題を中心に研究を行った。 最初に『潟』(1973)に注目した。この詩はヴェネツィアと故郷ペテルブルグを比較し、祖国に対して批判的な目を向けているという点が興味深いと言える。次いで1977年の『サン・ピエトロ』(以下SP)に関し、描かれたサン・ピエトロ島が一般的なヴェネツィアのイメージとは異なる「荒れた街の周縁」だというところに、亡命のテーマが表れていることを明らかにした。「周縁」という舞台が亡命前に青春の場所として描かれたこと、また荒れた街の風景は詩人が幼かった戦争直後の故郷を連想させることから、ここで詩が本当に描いているのは失われた過去の故郷であり、亡命者が文学に対して抱いた「詩によって過去に戻る」という希望が表明されているのだと言える。しかし一方で過去に戻るという試みの限界も示唆されていり、亡命生活に容易く順応したという詩人のイメージとは異なる亡命者の苦悩が描き出されていることが明らかになった。 SPでは『潟』のソ連批判に代わりノスタルジーが支配的だという点で、この二作は大きく異なると言えるが、この違いは亡命に対する怒りから諦観へと至った考え方の変化、また帰国を希望していた亡命直後から、帰国を事実上断念した70年代後半に至るまでの状況の変化を示しており、亡命という運命を受け入れる過程が見て取れると言える。 ただし、その後のヴェネツィア詩を見る限り、亡命後のブロツキーにおける「過去の再生」の重要性を過大評価することはできない。今後は80・90年代も含めて、亡命という事件に加え、英語圈の作家との交流や英語での執筆によってブロツキーがどう変化・発展したかを解き明かすことになる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
現在までに行ってきたブロツキーの1970年代の詩作品の分析は、ブロツキーの亡命後の創作の発展という問題を解き明かすための重要な基礎作業である。現時点での成果発表は概ね計画通りであり、これまでの基礎作業に基づく論文、学会発表を次年度に行えるようになったという点でも、着実に進展したと言える。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究としては、これまでに行った1970年代の作品分析に加えて、1980年代以降の作品を視野に入れる必要がある。当初の計画では、1964年の流刑前後の変化も研究対象としていたが、ブロツキーの創作に与えたインパクトという点では1972年の亡命が64年の流刑を大きく上回っていると思われること、また難解とされるブロツキーの詩のテクスト分析という基礎的な作業に必要とされる時間を考慮すると、原則として次年度の研究対象は亡命後の作品とするべきだと考えられる。これまでは作品の分析に多大な時間を要したが、今後はそれを踏まえた学会発表や論文発表を進めるべきであり、それが可能であると考えられる。
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