研究課題/領域番号 |
13J10684
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
横山 恭子 東京大学, 史料編纂所, 特別研究員(PD)
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キーワード | 朝鮮通信使 / 対馬藩宗家 / 以酊庵輪番僧 / 通信使行列 / 対馬藩主行列 / 対馬宗家文書 / 朝鮮通信使記録 / 新井白石 |
研究概要 |
平成25年度(PD採用第1年度目)においては「朝鮮通信使迎送体制と対馬藩宗家」という研究課題の遂行のために(1)朝鮮通信使迎送体制下における対馬藩主の役割の分析・検討を重点的に行った。 本研究を進めるに当たり、まず慶應義塾大学三田メディアセンターにて、ゆまに書房刊行のマイクロフィルム版『朝鮮通信使記録』所載の史料を閲覧し対馬藩主ならびに信使奉行(通信使護行の総責任者)の「道中毎日記」を複写・精読する作業を行った。この『朝鮮通信使記録』の調査により、明暦期(第6回、1665年)から宝暦期(第11回、1764年)にかけて20点を超える「道中毎日記」が残っていることが確認され、うち正徳・享保期を中心に全10点・全1463丁分が複写・収集済みである。実際に複写・収集した史料から江戸を目指す集団が、①将軍献上用の馬・鷹、②先荷(献上品)、③対馬藩主行列、④朝鮮通信使行列、⑤以酊庵輪番僧行列、⑥荷馬・人足に大分されることが確認された。なお朝鮮人と行列通行を支える日本人との間で、言葉・文化の問題によるトラブルも多発し、その交渉・調整役のため、対馬藩主や家臣団が1、2時間で駆けつけられる距離で護行・随行していたことも判明した。通信使行列と対馬藩主行列の通行順については、正徳・享保期に次第に定式化していく様相をみせる。明暦・天和期の段階で、通行順序が曖昧・不定であった一方、正徳期には参向・下向ともに通信使行列が先行し対馬藩主行列が後に従う独特の順序になる。享保期以降は人馬の差し支えや大河・山中の危険な場所のみ順序を入れ替えるが、基本的に対馬藩主行列の後、通信使行列が続く形に定着していく。 以上のように、通信使行列や対馬藩主行列の通行順が正徳・享保期に試行錯誤の上、定着していくことからも、乗馬役の事例同様、朝鮮通信使迎送体制の再整備の一端がうかがえる。これらの研究・分析は正徳期の新井白石の改革の影響等を追加調査した後、学会発表・論文化する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成25年度中、(1)朝鮮通信使迎送体制下における対馬藩主の役割については、おおよそ予定の史料を収集し分析することができた。また(2)対馬藩家臣団の編成に関しても長崎県立対馬歴史民俗資料館や韓国国史編纂委員会にて「奉公帳」をはじめとする関連史料を調査・収集中である。博士論文執筆・提出の関係で一部、弘前市立図書館等の国内調査ができなかったが、平成26年度の計画に組み込み実施する予定である。
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今後の研究の推進方策 |
平成26年度以降は、朝鮮通信使迎送体制下における(2)対馬藩家臣団の編成、ならびに(3)宝暦期対馬藩の請負人馬に関する史料収集・分析を行う。ただし対馬藩家臣団の分析に用いる一連の「奉公帳」に関連し、平成25年度の調査により目録の記載項目で把握できなかった丁数について、1点分で300丁を超える分厚いもの含まれることが判明した。よって調査対象が非常に厖大な量に膨れ上がると見込まれるため、しばらくは享保期以降に時期を限定し調査・分析を行うこととする。なお東京大学史料編纂所所蔵の「宗家文書」の中にも「江戸藩邸日記」等の関連史料が存在するため、併せて調査・閲覧を試みる。
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