研究課題/領域番号 |
14023214
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研究機関 | 佐賀大学 |
研究代表者 |
三島 伸雄 佐賀大学, 理工学部, 助教授 (60281200)
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研究分担者 |
丹羽 和彦 佐賀大学, 理工学部, 教授 (00228264)
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キーワード | 神ノ島・四郎島の台場 / 幕末佐賀の科学技術 / 鉄製大砲 / 佐賀藩と長崎警備 / 大砲台場築造150年 / (財)鍋島報效会 |
研究概要 |
(研究の背景と経過) 神ノ島・四郎島の台場が築造されたのは、1853年。今から、約150年前である。神ノ島は当時から現在まて住民が居住していたので、宅地開発や工場団地の造成などで、史跡の大半は壊されている。が、四郎島は無人の島であったため、一部の欠損はあるものの、ほとんど、築造当時の面影を残していることが判明した。研究に着手した当時は、島全体がうっそうとした樹木に覆われており、史跡の存在は、全く、予想できなかった。しかし、地元住民の協力を得て、樹木の伐採をしたところ、(財)鍋島報效会に保存されている四郎島の古絵図と同じような史跡が出現したのである。その歴史的な価値、台場の規摸、保存状態を勘案すると、国の史跡に指定すべき貴重な遺跡と想定される。 14年度に四郎島の地形測量を終え、15年度には、四郎島と神ノ島を結ぶ堤防、神ノ島の地形測量も完了したところである。 (研究の実績概要) 本研究は、神ノ島・四郎島の大砲台場の地形測量及び文献資料の収集である。平成14年度、15年度の実績としては、神ノ島・四郎島の大砲台場築造に関する歴史的な背景の文献資料の収集、古絵図・現地写真撮影などや四郎島・神ノ島の地形測量を終えることができた。その他、上述したように、思いがけない史跡の発見に、新聞は大きく取り上げ、テレビ報道が相次いだ。この史跡の存在をほとんど知らなかった神ノ島の住民や長崎市民の驚きの声は、この研究の一つの成果であろう。このことが、きっかけとなり、鍋島家所蔵の神ノ島・四郎島の古地図の展示会や県内外の歴史研究者などで組織する幕末佐賀科学技術史研究会のメンバーの約40名は、長崎での現地踏査を行った。また、平成15年3月9日、佐賀県立美術館で開催した「ハイテクにっぽんの源流」のシンポジウムでも、四郎島の史跡は話題の一つとなった。その前日は、佐賀藩が日本で初めて築造した鉄製大砲(1977年復元)を佐賀から長崎の神ノ島に運び、大砲台場築造150年記念行事として、七発の祝砲を上げた。その後、引き続き、約100名の長崎県の研究者や歴史愛好者の方々と共に四郎島、神ノ島の史跡を歩いた。平成15年10月18日、長崎県勤労福祉会館で開催した「ハイテクにっぽんの源流」(幕末佐賀藩の長崎警備)のシンポジウムでは、長崎市民に神ノ島・四郎島の史跡の重要性、史跡保存の必要性をPRした。
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