江戸時代の伊勢地域における科学技術の進捗がどれ程のものであったかを推し量るための手がかりとして、昨年度は、(イ)飯南郡射和(現松阪市)の商人竹川竹斎が、江戸在の奥村喜三郎(天文・暦学・数学者)や佐藤信淵(農業土木・測量家)といった蘭学者から伝授された技術を応用・実践して完成させた2つの灌漑用水地(射和上池・下池)の計画書・設計図、及びその築造経過を記した『池普請日記』三冊などの解読を行った。解設はまだ半ばであるが、射和上池の実地調査から、現在使用されている池は竹斎が天保7年(1836)に着手し築いた当時のまま今日に至っており、樋門や流水路も設計図面通りのものが存在し、機能していることが判明した。現物と図面の両者がそろって残存する例は珍しいといえる。更に研究を深めたいと考える。(ロ)山田地方(現伊勢市)の天保時代の測量地図を作った高山孝重の地図・絵図が5点見つかったので、調査した。これらは個人蔵であるので、借用の都合で(イ)よりも優先して報告書の作成に取りかかった。高山は18〜9才の時に伊能忠敬がこの地方の測量旅行にやって来たのであるが、今の所、両者の接点は見出せない。しかし高山の地図の作り方は精緻であり、誰から伝授されたか興味のある所である。独学とも思えないので、この地方の天文・暦学の研究グループの中にあり、研究を進めたとも考えられる。(イ)(ロ)ともに伊勢における西洋科学技術の間接的な導入に関する個別的具体的研究であるが、これまで先行研究がない。史料追求をさらに進めて、この成果が、内外で進められている。この種の研究に対して基礎的なデータ・資料となるよう、着実に調査を深めたい。
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