研究課題
基盤研究(B)
14年度は初唐の末の宮廷詩人として活躍した沈栓期・宋之問の詩文を検討、「仙女と仙媛-沈宋の文学と道教-」なる論文を執筆した。周知のように「仙女」の語は、沈栓期の詩が典故とされている。論文では、序言、第一章「沈宋の文学と則天武后の道教への傾斜」、第二章「沈栓期と道教」、第三章「宋之問と道教」、第四章「仙女と仙媛」、結語の構成の下、初唐の後半、則天武后の道教への傾斜を背景に、沈栓期・宋之問の宮廷詩の中で、二人の道教観・女性観を濃厚に含んだ、「仙女」「仙媛」の詩語が展開されたことを述べた。16年度は杜甫の詩文を読み、杜甫と道教との関係を考察し、「太清・太一と桃源・王母-杜甫と道教に関する俯瞰-」を執筆した。論文では詩だけではなく、散文も考察の対象とした。中心は「太清宮」を中心とする玄宗時代の老子信仰に関わる問題であり、「太清宮」に関する杜甫の賦の中に唐代に流行した重玄派道教の経典である『本際経』の影響のあることなどを指摘した。また、「太一」に関する信仰、「太一救苦天尊」信仰に関する問題や唐代に仙境とされた桃源郷の問題も同時に取り上げた。女性観との関わりでは、同時代の女性として杜甫が関心を持たざるを得なかった楊貴妃の艶やかさは、実は当時の道教の華やかさと不可分のものと見ることが出来、道教が女性を尊重したことが楊貴妃の美貌の一世風摩と深く関わるのである。ところで、先の「太清宮」に関する杜甫の賦の中では、『本際経』の影響を指摘できると同時に、そのことを元にして、杜甫が玄宗皇帝を道教の最高神である元始天尊に、楊貴妃を女仙の代表者である西王母に見立て、カップルとして歌い上げていると指摘できる部分がある。こうした考察も重要なものであろう。16年度はまた、「『九幽経』小攷」なる一文を得た。これは杜甫と道教との関係の考察の過程で生まれたものであるが、また、次の研究テーマ「階唐道教と文学」に連なるものでもある。
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福井文雅博士古稀記念論集 (未定)
東方宗教 105号
ページ: 20-40
-A FESTSCHRIFT FOR FUMIMASA FUKUI ON THE OCCASION OF HIS 70TH BIRTHDAY (予定)
THE JOURNAL OF EASTERN RELIGIONS Vol.105
宮澤正順博士古稀記念 東洋-比較文化論集
ページ: 23-36
THE FAR EAST-ESSAYS ON COMPARATIVE CULTURE -A FESTSCHRIFT FOR MASAYORI MIYAZAWA ON THE OCCASION OF HIS 70TH BIRTHDAY