研究概要 |
楠木は,ホルチン部モンゴル王公のジャサク旗の成員であった民族集団シボ族が,清朝の対ジューン=ガル戦を契機として,黒龍江駐防八旗の成員となり,さらに盛京駐防八旗と禁旅八旗に編入されていく過程と意義を検討した。その結果,シボ族の八旗編入は,国軍への編入を意味しているのではなく,モンゴル王公の領旗から皇帝直属旗への編入を意味しているのであり,八旗が皇帝と愛新覺羅宗室の分権体制にあり,さらに八旗と同等のものとしてモンゴル王公のジャサク旗が存在していたこと,満・蒙の政治統合を標榜する重要な歴史事象であったことを解明した。片岡は,満洲・蒙古・漢軍旗人が清王朝の官僚となっていく過程を翻訳科挙に着目し,史料を収拾した。丸山は,漢族の宗教文化がいかに変容したか,維持されたかを解明するために,清代に漢族移民社会として成立した台湾の都市の道教儀礼を,『道藏』と比較しながら検討した。松本も同様に,漢族の宗教文化がいかに変容したか,維持されたかを解明するために,清代に漢族移民社会として成立した台湾の都市の道教儀礼を,『道藏』と比較しながら検討した。またあわせて明代の都市・集落の信仰である城隍神信仰の源流を検討した。これは,清代の北辺において,満・蒙・漢が接触しながら,都市・集落を形成し,そのなかでどのような信仰対象が成立したかを理解するために必要な前提となる研究である。山本は,洋務運動期以降に漢人農民の大量流入と開墾がなされた蒙地を含む華北において,1934-40年代の国民政府がどのような土地政策を行っていたかを解明し,この土地政策に対して,かつて蒙地であったことがどのような影響を与えたかを検討した。
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