本年度は生地ルートヴィヒスハーフェン市での資料調査はさらに進み、加えて、19世紀後半から20世紀前半の時代背景とブロッホの美学との関わりについての研究にも着手した。その間、マンハイム大学のロマン主義研究者ヨッヘン・ヘーリシュ教授とブロッホの美学について話し合う機会があり、ブロッホ美学の出発点はやはり初期のエッセイ集"Spuren"にあるという点で意見が一致した。ただ、"Heimat"や"Zu Hause"を求める少年ブロッホの豊かな好奇心は必ずしも世界全体を包括する哲学や美学にはならないはずである、という考え方から、ブロッホ美学の問題点の所在に関しても意見が一致したのは興味深かった。すでに"Erbschaft dieser Zeit"における文化遺産問題、および表現主義論争に明らかなように、ブロッホ美学のアポリアがその点に胚胎していることには間違いがないのである。本年度は幸いそれに加えて"Merkur"誌の編集人カール・ハインツ・ボーラー教授にも会うことができ、この問題に関して詳細に話し合うことができた。ボーラー流に考えれば、それは、突然性に依拠すれば連続性や目的性は論証しがたく、連続性に依拠すれば突然性がないがしろにされるという難問なのである。もっともボーラー教授自身がこの難問を解決しているとは言いがたい。その原因は、この問題の背後にはさらにもう一つ難題が隠れているからなのだろう。それはつまり、敢えて言えば、キリスト教を含めてヨーロッパのユートピア思想は実証主義の枠組から逃れられないのではないか、という疑問である。この疑問は今年度のマインツ大学とのシンポジウムで哲学者カール・レーヴィットの講演に倣って"Unterschied von West und Ost"というテーマで問題提起してみたが、問いかけはドイツ側参加者からも一定の評価を得たようである。こうして本研究の問題点は出尽くしてきた。来年度の仕事は、それらを現代とのかかわりでいかに究明するかである。
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