1.琉球における八景の受容と展開 <八景>は、南宋・元・明を通じて変容しつつ、琉球王国にも伝来した。明・清から渡来した冊封使の見聞の記録すなわち使琉球録や、冊封使に随行した人々の見聞記録、また琉球の人々の漢詩集などの史料に即して、近世琉球の<八景>を代表する「東苑八景」、「中山八景」、「首里八景」、「首里十二勝景」について、その内容と特質、成立時期、選定者などを解明した。 2.古琉球の禅宗寺院と王都-<十境>の受容と展開 <十境>の琉球への伝来、受容などの過程、そして琉球の禅宗伽藍の内外にあるどのような自然や人工の景物に佳名が付与され、<境致>となされたのかについて、「円覚寺八景(人境)」や「同楽苑八景(人境)」などの実態を使琉球録や漢詩集などによって検討し、琉球の<十境>・<境致>の特質を明らかにした。 3.那覇・波上の風景-場所の歴史の再構成 (1)自然と歴史と文化と宗教が重層する興味深い場所、波上の地について、史料に即して場所の歴史を再構成し、その特質を明らかにする作業を実施した。伝承によって語られることの多かった波上権現と護国寺の創建について、同時代史料にもとづいて新たな見解を提示する。 (2)波上権現・護国寺の再興にかかわったとされる日本人の補陀洛渡海僧日秀上人について、日本と琉球に伝わる伝記の比較検討を行い、それらの史料としての特質を解明することによって誤伝や伝承を明確にし、日秀上人の事蹟を史実として明確に跡づけた。 (3)那覇・波上の地には中国大陸に由来する下天妃廟・上天妃廟・龍王殿・天尊堂・孔子廟・関帝廟などいくつもの廟が建てられていた。そのうちもっとも重要と考えられる天妃宮に着目し、数少ない史料の精緻な分析によってその成立と変遷を明らかにし、従来の説の誤りを訂正しまた不備を補った。
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