平成14年度におこなった、ハイデガーにおける現前しないで存在することへの応答を静態的かつ動態的に跡づけるいわば内在的・歴史学的研究と、平成15年度に実施した、この応答がもつ現代的意味をハイデガーに忠実にハイデガーとは別な仕方で検討する解釈学的研究とを踏まえて、本研究の集大成をおこなった。その結果、この応答を他なるものの声への呼応として取り出すことができるという結論に達した。 ひとやものが存在するということは、だれもが口にするほとんど自明な事柄でありながら、手の届かない他なるものでもある。存在するものは隠されたさまで、すなわち他なるものとして存在する。他なるものは、隠れているかぎりで現前しないが、現前しないで呼びかけるという仕方で存在している。ハイデガーは、存在するというこの異様な事柄に対して、循環あるいは転回によって思考した。それが、本研究がハイデガーから取り出した他なるものの声への呼応である。 この呼応は、隠されたありさまでしばし存在するもの(他人でも、自分でも、人間以外のものでもありうる)による、また存在することそのことによる呼びかけへの、つねにすでに立ち遅れた応答である。それへの応答は、これがハイデガーの(循環への逆戻りをそのつど撤回する)転回である。そしてそれは、他なるものを当の他なるもの、ありのままのものとしてあらしめることである。また、本研究はこれを他なるものの存在の倫理と名づけた。ここに、ハイデガー哲学のひとつの現代的意味がある。
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