知覚の表象内容が信念の表象内容と同じく概念的かどうかをめぐる最近、急浮上してきた問題について考察を行い、知覚の内容が非概念的であることを論証した。信念には、ある信念を形成できる人はそれと関連のある内容をもつ信念も形成できるという体系性や、無数に多くの信念を形成できるという生産性があり、ここから信念の内容はいくつかの概念を一定の構成規則に従って組み合わせてできた概念的な内容であるといえるのにたいし、知覚の内容はそのような体系性や生産性を欠くため、概念的とはいえない。信念の内容は概念的であるため、信念は他の信念によって正当化されたり理由づけられたりするが、知覚はその内容が非概念的であるため、知覚が信念を正当化したり理由づけたりすることはない。ただし、知覚と信念の間には、知覚が真のときには、それにもとづいて形成される信念も真となるいう意味での「正当化」は成り立つ。 また、知覚の「選言説」に対する批判的な考察を行った。選言説によれば、たとえば赤いリンゴが見えるということは、実在の赤いリンゴが見えるか、あるいはそうであるように思えるということにほかならない。この説は、真なる知覚の対象は実在の事物であるという常識的な直観を満足する点にもっとも大きな利点があるが、その反面、偽なる知覚の対象が何であるかがまったく不明であるという大きな難点ををかかえる。選言説は真なる知覚と偽なる知覚が共通の要素を含むという考えを錯覚論法の中核的な仮説として拒否するが、それらはやはり共通の要素、ただし感覚所与のようなものではなく、共通の表象内容をもつと見なすべきであることを論じた。
|