本研究の目的は、ソクラテス以前の哲学において、神話的要素が果たす積極的な意義を考察することにある。一般に、ソクラテス以前の哲学は、自然万有に関して、神話的な説明方式を排除して、合理的、論理的、科学的な説明を展開させたという点にその特徴を持つとされる。こうした評価は、ギリシアの文化全体のあり方を「ミュートスからロゴスへ」という形で定式化したネストレ(W.Nestle)の有名な「仮説」を、哲学の領域へ適用した結果とも言える。この定式化に対してはこれまでにも様々な批判が現れたが、少なくとも哲学史の記述においては、現在でもおおよそこの定式化が受け容れられており、ミレトス派による「脱神話化」の作業を通じた宇宙論の形成を哲学(あるいは少なくとも自然哲学)の始まりとするのが正統な見方とされている。しかしながら、ミレトス派は明確に且つ意識的に神話を排除していたと結論づけるのは性急にすぎるだろう。また、彼らに続く思想家たちも、脱神話化という点で一致しているとは言えない。神話とソクラテス以前の哲学との関わりを今一度考察しなおすことが必要なのである。そこで、本研究は、初期のギリシア思想展開の中で神話的要素がどのような役割を果たしているのか、という問いを考察の中心に据えることになるが、具体的な方法としては、哲学の起源を宗教的神話に求める発展史的理解(「ミュートスからロゴスへ」という図式はまさにその理解に基づく)の検討から始め、主にD.A.Hylandの見解に依りながら、上記のような単純な図式で理解することによって抜け落ちていた叙事詩の哲学的要素を、哲学の起源を非歴史的に見ることによって改めて捉え直すとともに、ソクラテス以前の哲学における神話的表象の意味を考察した。ただし、その範囲は、今回の研究ではミレトス派とパルメニデスにとどまった。この不十分であった点は今後のさらなる課題としたい。
|