現在中国を中心として、中国古代文化研究の再検討が盛んに行われている。その主な原因はこの三十年ほどのあいだに出土した夥しい数の新出資料が、従来の文献だけを用いて行った研究が今なお有効であるか否かを検討し直す必要が生まれたからであろう。今日、先秦から後漢にかけての時期の中国文化を研究しようとする者は、これらを検討すること抜きに前に進むことはできない。これらの新出資料と従来の文献資料との突き合わせこそが、今日最も急を要する課題である。 『詩』の成立を考えるにあたって、現行本の『禮記』緇衣篇とかなり近く、かつ『詩』を多数引用する『郭店村楚墓竹簡』茲衣篇や、孔子の『詩』説とされる『戦国楚簡』孔子詩論は、重要な発見である。本研究では、これらの戦国期の成立と考えられる『郭店村楚墓竹簡』茲衣篇と『戦国楚簡』孔子詩論を『毛傳』『毛序』による『詩経』解釈と比較し、『郭店村楚墓竹簡』茲衣篇と『戦国楚簡』孔子詩論の成立について考察を行った。 例えば、『詩』周頌・清廟之什・清廟篇をもとに検討してみると、『孔子詩論』第5号簡と『毛傳』『毛序』は、主祭者が祖霊を祀るのかあるいは主祭者と助祭者が祖霊と祀るのかという違いがある。『郭店村楚墓竹簡』茲衣篇・戦国楚竹書『孔子詩論』に見える『詩』説は、『毛傳』『毛序』と同じものもあるが、一方清廟篇のように『毛傳』『毛序』とも異なるものも存在する。『毛傳』『毛序』が『詩経』に対する孔子の権威ある注釈であると言うことが孔子以降戦国期にかけて意識されていたとすれば、このような状況はありえない事である。今後、『郭店村楚墓竹簡』『戦国楚簡』が引用する『詩』全体の解釈と『毛傳』『毛序』の『詩』の解釈との関係についてより詳細な検討が必要であるとおもわれる。
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