本研究の成果は、以下の3種類である。 <1>康有為の大同思想を盛り込んだ『大同書』草稿本の訳注の作成。これは「『大同書草稿』訳注(三)」(2002)「同(四)」(2003)を発表、今後も継続する。 <2>大同思想の成立に関する研究成果は、(1)原典『礼記』礼運篇の大同章に関して、これまでの老子思想の混入説や墨子思想の混入説、或いは錯簡説などの対して、最新の考古学成果を踏まえて、戦国時期の儒家が諸子百家を総合したものであり、あえて大同思想を敬遠し、小康思想を重視したものであったことを論証した。(2)その後、専制政治下で、小康思想が重視されたが、康有為から大同思想の継承者とされた黄宗義の著『両異人伝」から、その例外もあった事を論証した。(3)近代にはいり、康有為は、大同思想の内容が、経済の均分、政治の民主と社会生活上の男女平等を意味していると解釈した。これには、当時在華の宣教師・李提摩太(Timothy Richard)やかれら刊行した雑誌『万国公報』(Globe Magazine)が大きな影響を与えた。本論では、陳〓ら当時の中国人洋務論者の世界統一思想(「大一統思想」)や『万国公報』に訳載された米人Edward Bellamyの未来小説「回頭看紀略」(Looking Backward 2000-1887)の記述をもとに、康有為の大同思想の内容を比較検討氏康有為が後者によっていたことを論証した。ただし康有為が、家族制度を不要とし、愛情本位の契約婚を主張するに至ったのは、伝統の陽明学や仏教の影響のほかに、明証はないが、当時にマルクス主義の「共産公妻」思想が関係したとした。従って、康有為の思想が、独創性より創造性に富むものであったことが判った。 <3>大同思想の影響面については、1899年より、現在に至る時期の主要著書や論文を資料一覧表として、『研究成果報告書』に収めたが、論及はまだ十分ではない。
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