15年度は前年度に引き続き、画像石や文献にみえる神仙思想に関して研究をすすめた。また芝草関係の資料を蒐集整理し、画像石にみえる芝草と西方のパルメット文様の関係について考察を進めた。パルメットは本来、パームで椰子をさすが、文様では椰子の葉の形にひらいたエジプトなどの蓮をさすことも多い。蓮は太陽が昇れば開き、沈めば閉じるなど思想とも関連づけられそうな特徴をもつ。植物学の角度からさらに考察を進めたい。これは「古代学研究(古代学研究会)」に投稿予定で、すでに原稿は四百字詰百二十枚ぐらいになっているが、未解決の問題があるため、もう少し考察したい。本年は他に『列仙傳』の仙人のうち、呂尚、黄帝、涓子について考察を加え、『人文学論集』に発表した。また『人間文化学研究論集』に「仙」と「僊」と題する論考を発表した。この論考は発行年は2003年3月だが、実際の刊行、本年の1月であり、原稿も8月に書いたものである。ここでは「僊」と「仙」の文字について考察した。「僊」と「仙」は現在、ほぼ同様の意味で使用されているが、両者の関係は明確には説明されておらず、「僊」の方が古い字体であるという感覚はあるものの確固とした使い分けはみえない。「僊」は「〓」・「遷」から分化してきた文字で、本来、「魂」と深く関連する。「僊」が使用されるまでは「遷」の文字が「僊」の意味で使われていたかもしれない。房中術関連の書籍である『十間』にみえる「遷」は、論者によっては「仙」と解釈されている。拙論ではその説はしりぞけ、この「遷」は精神や魂が「うつる」意味だと考察したが、それはのちの僊人の意味へとつながっていく。『説文解字』では「遷」は「登る」という意味とされ、「僊」の文字にも、のぼりうつるの意味がのこされている。「遷」と「僊」はほぼ同様の意味をもつ語とされていたようにみえる。これは魂が昇天して天界にのぼりうつるということと関連しているようだ。仙人が空を飛ぶという感覚は一般に方術にもとつく特殊能力と考えられがちだが、本来は魂の昇天と関連するのだろう。一方、「仙」には「のぼる」・「うつる」といった動詞的な用例がなく、名詞として使用されている。「仙」は「山(せん)」にもとつく文字で、発音が同一であることから、「遷」や「僊」の通仮字として使用されたようだ。また「仙」・「山」は画数が少なく、細かい文字の鋳造に便利なため、「僊」の意味として、後漢時代に鏡の銘文に多用されたようだ。『史記』には「僊」と「仙」が混在している。けれども『史記』の中で「僊」と「仙」に使い分けがあるようにはみえない。あるいは後世、文字が乱れて「僊」と「仙」になっているのかもしれない。いずれにしても大きな流れとして「僊」から「仙」へと変化していくことは確実であり、それにともなって魂の昇僊にもとづく「僊」から、山に住み不老不死の人である「仙」へと質的な変化をともなっていくように思われるのである。また昨年度、原稿を提出していた博山炉と香と蓬莱山に関して「博山炉と香-蓬莱山との関わりから-(『宮澤先生古稀記念論集』)」が刊行された。さらに「死についての文字学的考察-魂と骨の観点から-(人文学論集第21集)」も印刷された。なおこれらの内容に関しては昨年度の実績報告書においてすでにふれているので省略する。
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