17年度は、(1)「祀られる仙人-列仙図をめぐって」(『アジア文化の思想と儀礼』、福井文雅博士古稀・退職記念論集刊行会、春秋社、2005年6月30日刊行)、(2)「『荘子』にみえる北と南と中央」(加地伸行博士古稀記念論集刊行会、2005年3月刊行)、(3)「厚葬と薄葬-神仙思想の観念から-」(人文学論集、第24号、2006年、3月発行、pp2〜40)、(4)「房中術の精気と鍼灸の精気」、第13回日本鍼灸史学会大会講演、特別講演、日本鍼灸史学会、平成17年11月27日、PP2〜40。(亜東書店より出版予定)の成果があった。(1)は祠堂などに飾られる肖像画と仙人図の関係を述べたものである。「祠」は本来、死者をまつるという動詞であり、その後、死者をまつる場所ということから墓前の建物をさすようになったようだ。祠や廟には「図画形象」と遺像が掲げられることがあったが、それは死者の肉体および魂を具現化したものであろう。漢の武帝の祭祀に、「(太始四年)又祠神人於交門宮、若有郷坐拜」とある。応劭は「神人、蓬莱仙人之屬也」と、この神人を仙人と理解している。顔師古の「如有神人景象嚮祠坐而拜也。事具在武紀。郷讀與嚮同。漢注云神並見、且白且黒、且大且小、郷坐三拜。郷讀日嚮」を参考にすれば、「又た神人を交門宮に祠る、有るがごとく郷(むか)い、坐して拝す」と解釈できる。『論語』の「祭如在、祭神如神在」とを意識しての表現であろうが、師古のいう「神人の景象」という語は興味深い。「景象」は姿形ということだが、「景」は影でそれは同時に「魂」を示しており、魂と姿をもった神がそこにいるかのように拝むということだろう。漢注は、実際に白や黒、また大小の神々があらわれたと述べ、引用する師古もそれを支持しているようである。ここでは神の図像があったとはされないが、『太平経』には懸象還神法がみえる。これは体内神の魂神をすみやかに還す方法として、その図を描いて掲げるようだ。現代の道教祭祀でも神々の図を掲げるが、神の似姿をえがくことによって、神がそれを自分の肉体とみなして降臨するという発想であろう。 (2)は『荘子』の渾沌の話と仙人の原形である真人や神人との関連を考察したもの。(3)は肉体を保存しようとした厚葬と肉体を腐敗させ骨だけにしようとした薄葬のいずれもが、不死の肉体をもつとイメージされる仙人の形成と関連するということを論じた。(4)は神仙術の一つとされた房中術の精気と鍼灸の精気との差を比較して考察したものである。
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