文献研究、実態調査の両面において、現代日本社会における伝統的死生観と先端医療との関係を宗教学の視点から検討した。 本研究では先端医療の事例として、脳死・臓器移植問題を取り上げ、さらに伝統的死生観の一端を具体的に探る手がかりとして、スヤと呼ばれる屋形型の墓上施設に着目して考察を進めた。その結果、次のような暫定的な結論を得た。1、日本社会では、1968年の和田移植以来、脳死概念の登場を契機として、死のとらえ方が相対化されるようになり、特に1980年代後半以降顕著となる「二人称の死」の視点によって、その傾向がいっそう進んだ。1997年の臓器移植法における「死の自己決定権」の容認はこのことを端的に示している。2、一方で、和田移植当時からすでに現われていた、死んだドナーが「臓器として他者の身体のなかで生きながらえる」というドナー家族に見られる一般的な感覚の根底には、心臓停止を人間の死ととらえる従来からの死生観が伏在しており、場合によっては、残された家族の救いと贖罪感とが交錯する一種の宗教的性格が見出せる。3、他方で、隠岐、対馬、壱岐の各地域における実態調査からは、急速な医療テクノロジーの発展と価値観の多様化に伴って死生観が拡散していく現代的状況下にあっても、過去からの伝統的な葬送習俗・死生観が、機能と意味を変容させながら存続している諸相を明らかにした。脳死・臓器移植問題との関連においても、伝統的死生観を実体化せず、柔軟にとらえる視点の必要性が指摘できる。
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