イエスからパウロにいたる原始キリスト教の展開の橋渡しとして律法批判的な自由主義的神学を標榜したヘレニスト・ユダヤ人キリスト教の存在が想定されてきたが、この問題を巡る様々な議論を取りあげ、検証を試みた。原始キリスト教内部で、ヘレニスト・グループと保守的ユダヤ人キリスト教グループが独自のグループとして存在していたという史料的な裏づけはなく、まして、両グループが独自の神学を理由に対立しあっていたというテーゼは史料に基づく仮説というより、ヘレニズムとユダヤ教という二つの(宗教)文化の相違という前提の上に構築された虚構である。 1)まず、使徒言行録に現れる「ヘレニスタイ」と「ヘブライオイ」の用語は、純粋に言語的な観点からの2つのグループの区別であり、ここに独特な神学的特徴を持ったヘレニストのグループの存在を想定することは無理である。 2)6章1節-6節の釈義的研究は、エルサレム教会に2つの独特の神学をもったグループ間の対立が隠されているとする解釈を支持しない。 3)また、使徒言行録の中に、ヘレニストの選択的迫害があったという解釈を支持する根拠は見いだせない。 4)ステファノスの殉教の記事から、彼が律法と神殿を批判したという解釈は読み取れない。 5)編集記者ルカは使徒言行録7章のステファノス演説を記述する際に史料を用いた可能性が高いが、それをヘレニストに遡らせる場合でも、ヘレニストの神学がユダヤ教律法に批判的であったことを論証するものではなく、むしろ、律法遵守の立場を示す。ステファノ演説から推定できるヘレニスト神学は、神殿批判を中心とするものであり、それはディアスポラ・ユダヤ人キリスト教が共有しうる立場であった可能性が高い。 6)ヘレニスト神学の発祥をパウロ以前のアンティオキア教会に求めることは十分な根拠づけを持っていない。 7)紀元1世紀のキリスト教会は相互に密接に結ばれたネットワークを形成しており、初期の時代に一つのグループが独自の神学を展開させたという環境は見いだされない。
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