平成16年度の調査活動は、主に豊川周辺の「鬼」の出てくる祭礼の探索を中心として行った。その結果、中断されているところをも含めて21カ所の存在が確認できた。しかし、一連の調査活動を通じて浮上してきたことは地域の祭礼と、経済活動の関連性であった。とくに、明治27年の豊橋の当古から新城市の豊津への笹踊りの移譲などは経済的な問題を考える上で大きな手掛かりとなる。これを裏付けるかのように、当古の神杜の境内に立つ鳥居などには豊津からの経済協力があったことを想定させる碑文がある。 また、現存する「鬼」の祭礼が、聞き取りによれば新しいところでは昭和23〜6年代に村芝居に取って代わって行われるようになったといわれている。また、近くの集落の祭礼に出ていた鬼を真似てやっているうちに、今まで続いて来たという話などを聞いた。このような話を聞くと、一部の地域であれ、よく30年以上も継続されてきていると不思議な気持ちなる。ここには、鬼を受け入れる精神的な土壌が存在していることを見ていくことができる、といえる。 現在、鬼はこの東三河の地域でしか管見できていないが、天王祭という視点で眺めると山車という形に姿を変えて、伊勢湾岸、及び長良、揖斐、木曽、矢作水系にも分布していることに気がつく。知多半島の亀崎、知多半島の各地を経て犬山、さらには岐阜県高山にまで分布して行っていると考えてみた。とくに高山周辺では「鬼」は「棒振り」と名前を変えて顕れている事に気づかされる。つまり、高山周辺では鬼は鎮守の祭の中に守護役として同化させられていることに気づかされるのである。これは地域の経済発展との関連性を考察しなくては課題かも知れないが、東三河だけで考察することの限界が暗示されているのかも知れない。
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