研究概要 |
メギドにおけるVI層-AとV層-A-IV層-Bの年代決定について考察するため、まずこれまで行われてきた発掘調査の歴史をまとめ、VI層-Aを紀元前11世紀、V層-A-IV層-Bを紀元前10世紀のソロモン時代とする伝統的な年代説と、VI層-Aを紀元前10世紀、V層-A-IV層-Bを紀元前9世紀とするイスラエル・フィンケルシュタインの低年代説の成立過程および主張を明らかにした。また、2004年に発掘から半世紀以上もたって出版された、1925年から1939年までのシカゴ大学オリエント研究所によるメギド発掘調査のVI層に関する報告書(Timothy P.Harrison, Megiddo 3 : Final Report on the Stratum VI Excavations [2004])も分析したが、VI層の年代を決定する上で新たな根拠(未知のデータ)を提示していないことを確認した。 V層-A-IV層-Bの年代に関する、フィンケルシュタインの最も強力な証拠は、メギドの宮殿とサマリアの宮殿(紀元前9世紀)との間に建築技術と切り石のしるしに見られる間違えようのない類似点の存在であった。しかし、アミハイ・マザールが指摘するように、このことは、10世紀のソロモンと9世紀のアハブという2人の王がフェニキア人の石工を使ったと仮定すれば説明可能となる。結論として、フィンケルシュタインの主張の根拠は全体として不十分であると言わざるを得ない。現時点では、伝統的な年代説を低年代説に代える必然性はないと判断される。 さらに、伝統的な年代説の立場にあったマザールが、フィンケルシュタインとの論争を通して、鉄器時代区分の見直しに至ったことは、低年代説を取り巻く論争が新たな段階に移ったことを意味する。これについては今後の展開をしっかりと見守っていく必要がある。
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