1.カントは「純粋理性批判」という仕事を、1871年の『純粋理性批判』第一版序文では「法廷」にたとえているが、1787年の第二版では第一版序文を敢えて削除して、代わりの新しい第二版序文では「ポリツァイ(公共体)」になぞらえている。法廷からポリツァイヘのモデル変更を従来のカント研究が見落としてきたことを、研究史上初めて明らかにした。 2.見落としてきた理由が次の二点であることを、研究史上初めて明らかにした。 (1)カント著作についてのテキスト批判の不備。 (2)1780年から1783年にかけて相次いでドイツ語訳が出版されたフランシス・ベーコンの影響の極度の軽視。 3.本研究は18世紀のドイツ国内でのべーコン哲学の影響を精査し、かつ、べーコン哲学がカントの批判哲学体系の成立に与えた影響を概念史的方法で分析解明することによって、次の二点を研究史上初めて明らかにした。 (1)第二版序文で削除された第一版序文と法廷モデルが、キリスト教の「良心」思想に立脚するもので、『純粋理性批判』のみならず三批判書全体に通底する。 (2)第二版の新しいポリツァイ・モデルが、「純粋思弁的理性の批判」と限定的に改称された『純粋理性批判』第二版にのみ妥当するモデルであって、「コペルニクス的転回」に象徴されるベーコンの学問観と、「人間理性の立法」に象徴されるホッブズやロックやルソーの社会契約論を継承する。
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