本研究は(1)天皇像の系譜、(2)天皇報道の変遷、(3)国内用および植民地用の教科書に書かれた天皇像、(4)沖縄の知識人にとっての天皇像、(5)近代的ファミリーとしての皇室像、に関して検証・考察した。(1)に関しては、田辺元と福沢諭吉を比較対象とすることで、明治期の日本において「国家のフォークロア」を作り出すために機能した天皇像と、国家と一体化して語られる、抽象的な「無」として天皇像という、本研究にとって機軸となる概念を取り出し考察した。「無」としての天皇は、それが無であるがゆえにかえって人々がそこに自分の価値や感情を込められるのであるが、このような観点からさらに(5)および(2)について検討した。近代化のシンボル、民主主義を象徴し、愛情によって結ばれた幸福な家族のシンボルという二つの大きな天皇・皇室に対するイメージが、いかにして報道を通して人々の感情に訴えて、新しい価値観を創出していったのかについて考察するために、主として女性大衆誌の記事を収集した。また(3)および(4)については、日本以外の、外部からどのように天皇が見られたのかを考察した。The Japan Weekly Mailや国内用と植民地用の教科書における天皇に関する記述を分析し、さらに沖縄の知識人・伊波普猷の言説を検討し、「日本人」と「異質な他者」という二つのアイデンティティーの関連性を、理想への欲望と国民の形成の問題として考察した。以上の考察を通して、「日本人としての共通性」に基づく一種の倫理的な感覚を生み出す「無」の「形式」としての天皇は、内容を欠いた空虚な悲しみの「形式」として働きく時に、それを共有しない者をもっとも強く排除することになる、という問題性を指摘した。
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