本研究がめざすのは、第一に、文化をめぐるアドルノの思索を体系的に理解すること、第二に、そのようにして再解釈されたアドルノの文化理論を武器として、文化をめぐる現在の状況への有効な洞察を獲得することである。その際、アドルノの文化論に特徴的なことは、文化を自然との関係に定位して捉え、「文化と野蛮の弁証法的関係」へと鋭利にして繊細なる分析を加えた点にあった。「文化と野蛮の弁証法的関係」というこの論点は、一つには文明の名のもとに戦争が遂行される現在の政治状況によって、また、進歩した科学技術の生命の世界への介入という事態によって、そのアクチュアリティを増しつつある。本研究において、私は、アドルノの文化論を手掛かりとしつつ、この論点を押さえる所まで考察を押し進めることができたと考える。三月末に上梓した『アウシュヴィッツ以後、詩を書くことだけが野蛮なのか』と題する書物は-文化をテーマとする既発表の論考に、「文化と野蛮の弁証法的関係」と「音楽の進歩と啓蒙の弁証法」を主題とする章を新たに書き下ろして-この成果を集成したものである。 ここから、研究の第二年にあたる本年度は、第一に「自然科学の時代における文化の存在意義」という根本の問題について、科学論の現在をおさえた研究を進めてゆきたいと考える。ここには、いわゆる生命倫理をめぐる議論との接点が見出されるはずである。第二に、「文化と野蛮の弁証法的関係」について、アドルノの顕微鏡的視点を自らのものとしつつさらに私なりの考察を開拓してゆきたい。第三に「文化的アイデンティティ」という概念についてあらためて検討を加えたい。その際、「文化と国家」「文化と共同体」といった論点について考えることが不可避の課題となるだろうと予想される。
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