平成15年度は本研究の第二年度でありかつ最終年度にあたる。このテーマに関してこれまで蓄積してきた成果を、私は昨年3月に『アウシュヴィッツ以後、詩を書くことだけが野蛮なのか』と題する著作にまとめた。従って、これを土台としてさらにこの方向に研究を深化させることが本年度の課題となるはずであった。折しも2003年はアドルノの生誕百年にあたり、9月にフランクフルト大学で行われた『国際アドルノ学会』には、私もこの科研費を利用して参加することができた。アドルノ研究の新しい主題を模索する上で、「アドルノの道徳理論」をめぐる貴重な示唆を得ることもできた。「アドルノの文化理論」そのものについての個別的研究をより深めることができた、とは必ずしも言い難い。第一に、ホルクハイマーとの共著『ゾチオロギカ』の翻訳および改訳作業に携わっていたからであり、第二には、「ニヒリズム」をテーマとする日本倫理学会での提題発表準備に追われたからである。ニヒリズムという問題は「アウシュヴィッツ以後」という時代感覚にとっても極めて重要なものであり、私の発表も『否定的弁証法』最終章におけるアドルノの思考によって強く影響されている。しかし、ニヒリズムあるいは「人生の無意味さ」について考えるには、内容的にも方法の面でもより多様な連関の中で考え進める必要があり、私の研究は、目下、その方向での展開を見つつあるところである。「文化論の現在」という観点では、『社会思想史研究』に寄稿した研究動向のサーベイだけでなく、別に、公共性概念との関連に注目して「文化は閉ざし、文化は開く-公共性と文化」という論考を執筆した。
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