昨年度の考察を受け、本年度は「なぜ韓国近代儒教改革運動は、<精神>や<魂>に関心を集中させたのか」についての考察を進めた。その結果、この問題を解く鍵は、「天」および「心」という朱子学の重要な観念の解釈にあると考えるようになった。 中国や日本では「天」を自由に解釈してきたのに対し、韓国では「天」を自由に解釈することは、「正統」を逸脱した「異端」な行為と考えられてきた。そのため、「臣下」である韓国は、徹底して「中華=天」に忠誠を誓い、「天」を解釈することを避け、李退溪の『心経』重視以来、一貫して「心」の解釈に終始してきた。その背景には、「天」は中華である中国が独占すべき観念であるという認識が、韓国思想界に存在していたことを物語っている。したがって、19世紀に天主教(西学)が普及し、その影響によって東学党(崔済愚)の「侍天主思想」「天道思想」が新たに提唱されたことは、韓国思想史において革命的な事件であった。なぜなら、天主教という新たな「天」に関する思想=宗教は韓国人に「天」を解釈することを可能にし、長い間「天=中華」への従属と小中華意識にとどまって思考が、そこで一気に思想的近代化を歩み始めたからである。 「天」への注目は、必然的に中国儒教を、そして日本儒教を相対化して考えざるを得ない問題性を内包している。「天」と「心」の関係は、朱子学でいう「性即理」のシェーマに還元されやすいが、韓国近代儒教改革運動を考察する場合は、いったんそのシェーマを離れ、中国と韓国の朝貢関係から見直す必要があることを痛感した次第である。 なお、この研究成果は、2004年3月26日韓国蔚山大学で開催された国際シンポジウム「北東アジアにおける韓国・日本・中国の歴史と文化」において、「近代化と儒教」と題して研究発表し、本年夏に『蔚山大学校人文大学紀要』に掲載される予定である。
|