研究概要 |
まずカントの自由美と崇高との関係を考察し直し、カントの自由美とロマン主義の美の概念との関係を明らかにした。検討の結果、カントの自由美において中心的な役割を果たす、構想力の自由は対象の形態の所与性を解消し、無規定性ないしは無形(カント自身はUnform, formlosの区別をしていない)に向かう傾向を持つことが明らかになった。カントが美に「人倫性の象徴」という性格付けを与えたのはまさにこの感性的な所与からの構想力の自由に依ると考えられる。こうした構想力の自由とロマン主義的なものとの関係は、とくにJ.Paulの『美学入門』におけるロマン主義の説明に明確に現れており、パウルによれば、ロマン主義的なものとは単に崇高のみではなく(彼によれば崇高や悲劇的なものは古典主義にもすでに見られる)、無規定性あるいは無限性であり、ロマン主義が開いた無規定的な美と構想力の自由とは不可分に結びついている。ロマン主義における美の概念は、シュレーゲル、ゾルガー、シェリング共通して、美の概念のうちに崇高を含むが、それは一方では、カントの崇高美の影響でもあるが、他方で、カント的自由美のさらなる展開あるいはデュナミークの性格をも持つ。今回の科研のテーマはシェリングを中心とするロマン主義の美の概念が、古典主義的調和美からの逸脱であり、現代的な美への第一歩であることを一つには示そうとしているが、今回の研究で構想力の自由が本来的に無形への傾向を持つことがある程度証明されたように思える。構想力の自由は、我々の美的経験の本質をなすと思われるが、我々の美的経験が対象の模倣という拘束を離れ、自由に解き放たれることにより、言い換えれば純粋に美的経験の本質が芸術表現に現れることにより、抽象表現が登場したとも考えられよう。ゼードルマイヤーは、現代の抽象表現を絵画の純粋化とみなしているが、絵画の自律性の徹底は同時に、我々の美的経験の純粋な現れとも見ることが出来る。つまり、カントが規定した趣味判断の性格、無概念性と無関心性は、具体的には対象(実体、諸性質の担い手)から色、形が独立して我々の意識をしめる事態を示していると考えられるが、まさに抽象はこの美的経験の本質に従っていよう。ロマン主義の美の概念はその途上を示している。ロマン主義の風景画論もまたこの途上を示しているが、同時に、この美の概念は主観、客観の対立とは異なる在り用をしめしており、ハビトウス、様式の概念とも結びついてゆく。今年度は現代の美学へのさらなる考察の基礎的な準備段階に当たる研究を行った。
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